では、六本木ヒルズが10年間で体現した「都市の磁力」とは、どのように形作られたものなのだろうか。稀代のリーダーとして森ビルの「いま」を作り上げた森稔の言葉を踏まえながら、まずは同社の歴史を振り返ってみたい。
森稔の父親である森泰吉郎が、港区虎ノ門に森ビルの前身・森不動産を設立したのは、終戦から10年後の1955年のことだ。
港区で米屋を経営していた森家は、近隣の地主から賃貸家屋の大家業を任されていたという。そのなかで、横浜市立大学の教授だった泰吉郎が退官後、関東大震災や東京大空襲の体験を背景に鉄筋コンクリート製の賃貸ビルを建設。戦災からの復興期にあったその頃、木造家屋の立ち並ぶ新橋に建てた「西新橋2森ビル」が同社の最初の一歩となった。
森ビルの歴史をひも解くとき、赤坂のアークヒルズや六本木ヒルズ、来年開業予定の虎ノ門ヒルズに連なる原点として浮かび上がるのは、設立の4年後に東大を卒業したばかりの森稔が取締役に就任した後、「共同建築」という貸しビル建築のパターンを作り上げたことだ。
森ビルそのものは土地の全てを持たず、複数の土地の所有者に声をかけて表通りと裏通りの地権者と共同でビルを建てる――そのように街の区画をオフィスビルに作り替える手法で、同社は港区に45棟の通称「ナンバービル」を建設・運営する企業へと成長していった。
現在、虎ノ門ヒルズの開発を担当する執行役員の御厨宏靖・企画開発2部部長は、就職先に同社を選んだ20代の頃のことをこう振り返る。
「私たちから見れば、当時の森ビルはまだ『新橋の不動産屋さん』の1つに過ぎませんでした。しかし、虎ノ門や霞が関のオフィス需要が高まるなか、『共同ビル』という発想でいち早くそれに対応していたことは特徴的でした。あの頃はまだきちんとした冷暖房設備のあるオフィスビルも少なく、『ナンバービル』は、他と比べて非常に効率的なものでした」