六本木ヒルズの再開発区域は約11.6ha。最大15mの高低差がある坂だらけの土地で、中央には約3haのテレビ朝日の敷地があり、北側や西側には1960年代の中小ビル、南側には日本住宅公団が造成した低層住宅が密集していた。

店は地域で「藪下の金魚屋」と親しまれ、天保11年から続く店の5代目としての日々を彼は送っていた。店先には金魚の泳ぐ水槽が並べられ、1日に1度だけ井戸水を利用して中身を入れ替える。軒先には幅4メートル弱の玄碩坂が通り、いくつもの長屋を貫くようにして麻布十番とテレ朝通りを結んでいた。

森ビルとテレビ朝日の社員が2人1組となり、その地区に建つ家々を訪問し始めたのは1986年の秋のことだった。

当時、入社2年目の社員で、現在は執行役員の藤巻慎一・企画開発1部部長は、開発部で地権者との交渉を担当した1人だ。その後、開業まで同部署に在籍した彼は、「地権者の方々と話すには最悪の時期だった」と今では笑う。

「何しろ流行語大賞に『地上げ・底地買い』なんて言葉が選ばれたのと同じ年でしたからね。地上げ屋だと思われて、門前払いの連続でしたよ」

住宅地内の道路は、西から東への一方通行。幅員は3m前後で、慢性的な渋滞があったほか、消防車が入れないという防災上の課題を抱えた地域だった。

テレビ朝日社屋の跡地を含め、再開発の対象となった敷地は約11ヘクタール。再開発計画は単純な買収ではなく、地区の半分を取得する森ビルとの共同の建て替え事業である。最終的に彼らは400人の地権者を取りまとめることになるのだが、当初は共同事業という趣旨を説明する以前に、「うちは売らないから」「ほかと話をしてから最後に来てほしい」と玄関先であしらわれるばかりだったという。

「家に上げていただくまでが長かった。1年以上通い続けて、ようやく上げてくださった方もいました。今の生活を守りたい。相続の関係で権利を動かせない。ご事情はそれぞれです。噂話やニュースから不動産会社に悪い印象を持つ方もいました。そんなとき我々は、『森ビルは港区の地場産業です』と説明したものです。この場所でほとんどの事業を展開している私たちは、逃げも隠れもできないんだ、と」