反社会的勢力の父親
関東地方在住の知立瑠美さん(仮名・50代)の両親は、母親が16歳、父親が25歳の時に結婚。母親が17歳の時に知立さんが生まれた。
「私は生後2カ月で母に祖父母の家のソファに置き去りにされ、5歳くらいまで祖父母に育てられました。私を置き去りにした母が何をしていたのかは知りません。ただ、父はその時、刑務所に入っていたと聞いたことがあります。祖父母の家には当時、まだ中学生だった叔母(母親の妹)と叔父(母親の弟)が住んでいて、私を可愛がってくれました」
知立さんが5歳の時、祖父が事故で亡くなってしまう。以降、知立さんは両親と暮らし始め、その時初めて自分に3歳違いの妹がいることを知った。
しかし知立さんの生活は安定せず、小学校2年生の時には叔母(母親の妹)の家で暮らし、4年生になると再び両親の家へ。5年生になると今度は伯母(母親の姉)の家で暮らした。知立さんは小学校の6年間に同じ学校への出戻りも含めて5回転校した。
そんな不安定な幼少期を送った理由を、知立さんはこう話す。
「父は暴力団員で、母は水商売をしていました。夜、母がいないため、小4の時から、私は父に性加害を受けていました。起きている時は襲って来なかったので、朝まで必死に起きていた覚えがあります。私が寝ないため、『風邪薬』と言って睡眠薬を飲まされたこともあります。覚せい剤を使用していた父は、時々私に打つ手伝いをさせ、『元気が出るからお前も打て!』と言われたこともあります。さすがに強要はされませんでしたが……。小5のはじめには、父から逃れるために自分で叔母の家へ行きました」
母親も父親から暴力を受けており、母親からも「お前なんか産まなきゃよかった!」と口癖のように言われながら暴力を受けていたため、母親に性加害のことは相談できなかったという。
ところが、知立さんの中学校入学を機に再び両親と暮らし始めると、父親から耐え難い暴力を受ける。堪忍袋の緒が切れた知立さんは、初めて母親に、これまで父親から受けてきた性加害についてぶちまけた。
「ぶちまけながら母の顔を見て、母は知っていたのだと、知っていて助けてはくれなかったのだと分かりました。その時から私の中に母は存在しません」
それでも母親は叔父に相談し、叔父の助けを借りて、父親が留守の間に家を出た。

