足かせになる母親
65歳で脳梗塞を発症した後、大動脈瘤が発見された北陸地方在住の冬木恵さん(仮名・30代)の母親――。
2019年11月、「ステントグラフト」という人工血管を挿入する手術以降、定期的に通院していた母親は、血液検査や尿検査の結果、腎機能が弱くなっていることを指摘される。
しばらくは投薬で治療をしていたが、12月頃には主治医に「透析を受けたほうが良い」と、週3回の通院が始まる。通院準備をヘルパーに頼み、母親の家から透析室までは、介護タクシーの運転手に依頼していた。
母親はこの他にも、半年に1回、大動脈瘤やリンパ腫などの予後の確認のため、総合病院でCT検査を受けていただけでなく、皮膚科や整形外科などの受診が必要になることも。その際は、冬木さんが建設会社の派遣の仕事の休みを取って付き添っていた。
2021年6月。冬木さんは71歳の母親に要介護認定を受けさせたところ、翌月要介護2と認定される。
「結婚前は毎日母の家に行き、看病や身の回りの世話をしていましたが、結婚後は結婚生活との両立が難しいと感じました。母は私とずっと一緒にいることを望んでいましたが、私は母と距離を取りたいと思い、通院以外にもヘルパーさんに入ってもらうことにしました」
しかしヘルパーの導入はスムーズにはいかなかった。
「私が『帰るね』と言うと、母はさらなる体調不良を訴えて、何とかして帰さないようにしてきました。ヘルパーさんに対しては、『もういいから来ないで』と暴言を吐いたり、『他人の世話になるのは嫌だ』と言ったりしていましたが、私は、ゆくゆくは子どもも欲しかったため、ケアマネさんやヘルパーさんと相談の上、無理やり続けてもらいました」
デイサービスやデイケアは、本人が「行きたくない」と言うため利用しなかった。幸いなことに、ケアマネやヘルパーは協力的だった。異常なまでに娘に依存し、執着する母親が冬木さんの負担になっていることを理解し、状況を打開する方法を一緒に考えてくれたのだ。
2022年4月、夫に出向が命じられる。結婚前、実家の保険会社で働いていた夫は、建設系の会社に転職していた。出向先は東北で、期間は3~5年だという。母親と夫の間で揺れる冬木さんを前に、夫は言った。
「またここに戻る口実にもなるから、待っていてほしい、自分が同じ立場だったら、俺も残る選択をすると思う」
「正直、ついて行きたいと思いましたが、その頃母は生きる気力を失い、認知機能も低下し、歩行の介助などの必要なサポートが増えていました。更新を待たずに要介護認定の再認定を申請したところ、2から4になってしまったので、現実的に無理だと判断し、夫には単身赴任してもらうことにしました」
基本的に単身赴任中は、夫が毎週末帰ってきたが、時々冬木さんが夫の赴任先へ行くこともあった。しかし以前から母親は、冬木さんが出かけるたびに、「具合が悪い」「倒れて道行く人に助けてもらった」「救急車で運ばれた」などなど、わざと心配するようなことを言って冬木さんを呼び戻してきた。
「それが虚言だとわかってからは、あまり相手にしないようにしていました。でも、LINEや電話は止まらないので、私の気持ちは休まりませんでした……」
そんなとき、透析の主治医から精神科の受診を進められた。
精神科を受診した結果、母親の発言に統一性がないことや感情の起伏が激しいこと、鬱傾向や対人関係などを総合的にみて「境界性パーソナリティ障害」と診断。
それを聞いた冬木さんは、「ああ、そうか。とてもしっくりくる」と納得した。

