家中の食器がなくなるまで洗わなかった。母親はそういう人だった。働かず、料理以外の家事もせず、家計管理も父親に丸投げ。父親は愛想をつかして離婚、3歳上の兄も家を出ていった。母親が60代半ばの頃、脳梗塞になり、大動脈瘤も発見されると、残された娘の地獄の介護生活が始まった――。(前編/全2回)
この連載では、「ダブルケア」の事例を紹介していく。「ダブルケア」とは、子育てと介護が同時期に発生する状態をいう。子育てはその両親、介護はその親族が行うのが一般的だが、両方の負担がたった1人に集中していることが少なくない。そのたった1人の生活は、肉体的にも精神的にも過酷だ。しかもそれは、誰にでも起こり得ることである。取材事例を通じて、ダブルケアに備える方法や、乗り越えるヒントを探っていきたい。

亭主関白な父親と二面性のある母親

北陸地方在住の冬木恵さん(仮名・30代)は、両親と姉と兄の5人家族で育った。姉とは父親が異なり、17歳差。兄とは同じ父親で、3歳差だった。

「姉の父親は姉が幼少の頃に事故死していて、姉が中学生の頃に母が私の父と結婚し、一緒に暮らすようになりました。年齢的に難しい年頃だったせいか、私の父や母への反発が大きく、学校を中退したり、予期せぬ妊娠をしたりするなど家庭内では問題ばかり起こしていました。現在は家族と距離をとって生活しているので、何をしているのかわかりません」

姉の父親と母親はお見合いで知り合い、母親が22歳、姉の父親が25歳の時に結婚し、23歳の時に姉を出産。冬木さんの両親の出会いは不明だが、父親が38歳、母親が37歳の時に出会い、結婚。兄を37歳で、冬木さんを40歳で出産している。

父親は喫茶店を経営しながら、テナントビルの運営をしていた。

「父は、“THE昭和の父親”といった感じで、家庭内のすべての権限を握っていました。自分のやることに口を出されるのが嫌いで、母に対しては亭主関白な一面もありながら、私たちには普段は優しく、時に厳しい父でした」

家計を管理していたのは父親で、母親はその都度、父親から必要な金額を受け取って買い物に行っていた。このことは、父親が亭主関白な性格だったことも理由の一つだが、母親が家計の管理ができないというのが大きな理由だった。

「母は、人からどう思われるかを常に気にしていて、家の中での母と外での母が別人に見えることもありました。自分では働いた経験がほとんどなく、お金の管理が苦手でした。『そんなことやめなさい、みっともない!』と言うのが口癖で、私たちにもよく言っていました」

母親は外面が良く、周囲の人からは「いいお母さん」と思われていたが、家の中ではずっとTVゲームをしていた。料理は上手だったが、家中の食器がなくなるまで洗わなかった。基本、掃除や洗濯はせず、やむをえず洗濯は父親がやっていた。

氷の入ったコーラ
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「汚れた食器がたまりすぎて料理ができない状況に陥り、『外食をしたい』と言い出すこともあり、父が『専業主婦をさせているのに家事もしないのか』『普段からやっておけ』と怒り、母が逆ギレする……という夫婦喧嘩を何度も見てきました。兄や私の友人が遊びにくるとか、来客があるときにはきれいに片付けて、あたかも“いつもきれい”を装っていました」

3歳上の兄は、小児喘息を患っており、幼い頃から入退院を繰り返していた。母親は兄につきっきりになることが多く、冬木さんは寂しい思いをすることが少なくなかった。

「私はよく、『キツい子』と母から言われました。あまり自分の感情を表に出さない子どもに育ち、自分の中で『こうしよう!』と決めると人に意見を求める前に行動するタイプでした。兄のことで月に1回程度、感情を大爆発させる日があり、その日は2時間ひたすら泣き続けました。そうすることで子どもなりにストレスを発散していたのだと思います」