そもそも幸福とは何なのか?
幸福を論じるにあたって、最初に必要な作業は、そもそも幸福とは何なのか、その定義を明らかにすることである。辞書を見れば、こんなことが書いてある。
「満ち足りていること。不平や不満がなく、たのしいこと。また、そのさま(大辞泉)」
また類語辞典などでは、「福」「幸せ」「幸い」などとの違いを明確にするため、以下のような定義をしている。
「精神的または物質的に心の満たされる境遇にあることで、やや長期的な状態をいう(類語例解辞典)」
わかりにくいが、それが「満ち足りた心の状態」を示す言葉だということは、何となくわかる。具体的な形をした「幸福」というものが存在しているわけではない。何らかの出来事(刺激)の結果として、ある人物の中に「満ちたりた心理状態(反応)」が生まれること。それが幸福なのである。
これは一般に「感情」と呼ばれるものの生起の仕方と同じであり、その意味では、幸福は「感情」の一種といえるだろう(感情であることを強調すれば「幸福感」であろうが、本稿では「幸福」で統一する)。
しかし、ただそれだけの定義でいいかと言われると、ちょっと違う気がする。幸福は、怒りや喜びなどの一般的な感情とは、異質な側面を持っているからだ。
異質性の1つは、持続時間である。類語辞典では「長期的な状態」と呼んでいるが、通常の感情とは異なり、明らかにその持続時間は長いという特徴がある。