2つ目の異質性は、その「総和性」ともいうべき側面である。一般的な感情が、個々の出来事への単発的な反応であるのに対し、幸福は、さまざまな出来事が寄せ集まり、その結果として生じるという点で性格が異なっている(たとえば家族旅行に行くことは「楽しい」のだが、それだけで「幸福」が生じるかといえば、そんな簡単なものではない。それをも含めた、さまざまな「充足を生む出来事」が寄せ集まり、その総和として「幸福」という感情が生まれているのである)。
こうした「さまざまな出来事の寄せ集まり」によって生じる感情は、もはや個々の出来事に対する感情ではなく、「生」、つまり生きることそれ自体への感情となる。そして、その「総和としての感情」がおしなべて肯定的である場合に、私たちはそれを「幸福」と呼ぶのではないだろうか。
こうした認識を踏まえ、幸福に関する私なりの定義を示すと、こんな感じになる。
「幸福とは、さまざまな欲求が満たされた結果として、生への肯定感が持続している状態である」(図1参照)
わかりやすくいえば。さまざまな欲求が満たされ、「生きていてよかった」「生きているって素晴らしい」と思えている状態。それが幸福なのである。
(図版=奈良雅弘)