「組織」の発見
川上さんの著作の内容に入っていきましょう。以下では、ここまで述べてきたようなスポーツとビジネスが結びつくところ、つまり指導者としてのあり方に注目して各著作を紹介していくこととします。
『悪の管理学』には、しばしば「組織」という言葉が登場します。リーダーには「組織の最大限の力を引き出す義務」がある(6p)、「組織のなかの自分の役割」(40p)、個々の選手の長所を組み合わせて「優秀な組織体に仕立てる」(118p)、等々。人材の力を結集し、その力を発揮させる過程は「総合芸術」だとも表現されています(29p)。
このような、組織を作り上げる存在としての管理者イメージは、それ以前のスポーツ関連書籍にはみられないものだったと考えられます。一例を挙げておくと、少し前に遡って、1973年の三原さんによる『勝つ』を読むと、「人材を育てる」「人を使う」「チームを動かす」「戦術をたてる」「ツキを掴む」といった章が立てられてはいるものの、特に能力を結集させて組織の力を高めるというような発想はみられません。
三原さんの発想はシンプルです。たとえば、川上さんが入団してきた頃のエピソードは次のように語られています。「正直な話、投手としての川上をみたとき、プロで大成しようとは思えなかった」。そこでコーチと次のような話をして、川上さんを打者に転向させます。「あの川上やがな、あれ、投手ではアカンぞ」、「そうかも知れませんね」、「どや、打者にしてみたら」(46p)。万事この調子です。
このシンプルさに対して、1980年前後の著作は、個々の能力を結集させて組織の力を高める、という主張が幾人かからなされるようになります。たとえば広岡達朗さんの『わが教育野球学——組織のパワーを結集する法』では、タイトルも端的ですが、「集団的創造性」(14p)を発揮させることの重要性が説かれています。そのためには、「自分の仕事の本当の目的は何かをしっかりとらえ、目的を達成するために各個人の持っている能力を集団のパワーとして結集していくこと」(14p)が必要で、選手に対して「首脳陣は方針を明確にし、やりがいを感じさせる動機づくり」(15p)を行っていかねばならない等の主張がみられます。
組織としてのあり方を重視するこの頃の指導者論では、軍隊になぞらえた話がしばしばなされるようにもなっています。たとえば1980年、野村克也さんの『敵は我に在り——危機管理としての野球論』では、陸軍中将・石原莞爾の「戦略は、作戦地における武力の運用」「戦術は、戦場における兵力の運用」(127p)という定義が紹介され、それが野球に置き換えられて議論が展開されています。1979年の広岡さんによる『私の海軍式野球』でも、自らの野球を「江田島野球」「海軍式野球」(16p)、つまりかつての海軍兵学校のあった場所になぞらえたうえで、海軍の「軍紀」、つまり「艦全体」のことを考えるような「チーム教育」「集団教育」から野球論が展開されています(23-24p)。
スポーツ、企業、そして軍隊(あるいは戦国大名)における人材・組織管理を通底するものと捉える論法はこの頃から定着し始め、比較的近年まで存続することになります。たとえば『プレジデント』でも、2000年にリニューアルが行われるまで、この論法はよくみることができるものでした。しかしこうしたトレンドは、ここまでに紹介した監督たちから世代が下るなかで、失われていくことになります。