家庭の衛生を守ることが、国家を守ることにつながる
加えて述べられているのが、「母」の役目である。
母親は夫と子どもの「家内万般のことに注意する役目」をもっていると明言される。そのうえで必ず「衛生を心得る」べきものだとし、世の中のすべての母親に完全な「衛生法」を覚えさせるのが、社会にとって有益だとされた。要するに、一家の衛生を守るのは母の務めであり、母が行う衛生法を完遂することが、一国の衛生を守るために重要なのだという。
近代における新たな母の役割をまさに表現しているといっていい。「衛生」という言葉を日本で成立させたのは、江戸期から明治期を生きた医師の長与専斎という人物である。近世から近代に移り変わるなかで生まれたこの言葉は、当時は単に身の周りを清潔に保つことや健康を守ることのみを意味しなかった。
長与は衛生を「人生の危害を除き国家の福祉を完うする所以の仕組」と説明した(*8)。つまり当時の「衛生」とは、現代の我々が考える衛生概念よりずっと広く、国民の生命を維持するためのあらゆるものを含んでいた(*9)。母という役割は、長与のいう「衛生」の一端を担うものだといえる。この『家庭衛生論』でもう一点注目したいのが、産湯に関する注意である(*10)。
産湯の温度は36~37度が適切だと述べ、入浴時間についても長すぎることと短すぎることを注意している。同様の注意は他の家政書でもみられるものであった。
(注)
(*8)長与専斎『松香私志』長与称吉利、1902年、65頁
(*9)居住環境やライフラインの確立、それだけでなく貧困層の福祉につながる思想も含まれる。
(*10)山本「家庭衛生論」。また、すでに指摘されているように、明治20年代の家政書における小児の入浴についての記述は湯の温度について注意を述べるものが主であった。拙書『近代日本の公衆浴場運動』法政大学出版局、2016年
「垢で毛穴がふさがれると発熱する」
家政書のなかには、家事の方法について、日本と西洋の折衷を試みたものもある。1890(明治23)年に出版された飯島半十郎編『家事経済書』という本の内容は、衣服、料理、住居に加えて、女子に対する訓示の紹介など、じつに多岐にわたる。そして同書には、以下のような入浴に関する記述がある(*11)。
身体の毛穴が垢などによって塞がれると、身体が滞り発熱などの症状が出るという。そのうえで、日本人は熱湯に浴する悪弊があると述べている。江戸時代の養生書で述べられていた熱い湯に入ることへの注意は、明治時代になっても継続していた。
飯島は(摂氏に変換すると)24度以下を冷浴、24度から29度までを平浴、29度から35度を微温浴、35度から36.5度を温浴、36.5度から40.5度を熱浴というように、温度で分類した浴法とそれぞれに合った入浴時間を紹介した。
(注)
(*11)飯島半十郎編『家事経済書』博文館、1890年、48―49頁