健康寿命が長くても、老いは必ずやってくる

一方、母親も85歳で病気をし、入院・手術。その後、圧迫骨折を繰り返すなどで腰痛がひどくなり、立位も歩行も不自由になる。にもかかわらず、夫の体力低下にともない、増え続ける「夫の世話」と家事に追われる暮らしになっていく。

また、外からの支援受け入れについては、父親90歳、母親89歳のとき、要介護・要支援認定を申請。認定結果は父親、要支援2、母親、要介護1。

しかし、認定は受けるものの、サービス利用には消極的。近くに住む孫息子夫婦の支えと、3時間かけてバスで長年通い続けるPJさんの支えで、父親97歳、母親95歳まで在宅生活を継続。

こうしたPJさんの両親の生活は、国がいう「健康寿命」を全うした後に待ち受ける老いが避けられない期間の暮らしの実情を示している。

PJさんの父親は、元気な間はひとりで自炊生活ができるほどの人だった。その後、80代半ばで病気になるまでは、夫婦で買い物にも出かけ、夫婦仲も「まあまあ」だった。

では、そんな夫婦が80代半ば過ぎになると、なぜ「じいさんに殺される!」と妻が叫ばねばならないほどの関係に変わっていったのか?

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支援サービスを紹介するも父親は拒否

母親の負担を軽くするために、娘のPJさんが何もしてこなかったわけではない。それどころか、ひとり娘として親に対する責任感も強く、さらに地域の高齢者支援のNPO活動に携わるPJさんは、普通の人以上に福祉・介護に関する知識・情報も持っていた。

だから、両親が在宅生活をやめるまでの十数年間、母親の家事負担を軽くする手段として、介護保険の家事支援サービスをはじめ、民間の支援サービスの利用を両親に提案し続けてきた。

だが、その多くが父親から拒否され、加齢とともに母親の負担が重くなっていったのだという。PJさんが両親に提案してきた在宅継続のための支援策を挙げてみよう。

①両親のPJさん家族との同居
②配食弁当サービスの利用
③要介護・要支援の認定申請
④介護保険によるデイサービスの利用
⑤介護保険による訪問リハビリテーションの利用
⑥介護保険による入浴サービスの利用
⑦介護保険による家事援助サービスの利用
⑧医療保険による訪問診療

①~⑧までのうち、提案がスムーズに受け入れられたのは、在宅生活の最後の2年ほど利用した⑧の訪問診療のみ。病院の長い待ち時間が耐えられなくなったからだという。

しかし、それ以外の提案は拒否、もしくは、受け入れの抵抗感が強く、PJさんが生活を常に見守り、親が勝手にサービス利用を止めないよう、説得し続けなければならなかった。