だが、安倍は最後に出馬を選択した。
「元首相が総裁選に出て負ければ政治生命を失う」という森らの助言を振り切り、「逆に見送れば政治生命がなくなる」と見定めて挑戦したのだろう。「ゼロからの再出発」「派閥と長老支配の打破」という姿勢から、脱皮を遂げた「ニュー安倍」の片鱗を見た人もいたはずだ。
安倍が政権再奪取を目指した理由として、東日本大震災という「国家的危機」、緊張が高まった尖閣問題という「国難」の2つの異変を取り上げる関係者は多い。もう1つ、長年の持論の憲法改正実現という目標も出馬を決意した重要な理由だったと見られる。
安倍は第1次内閣時代の07年、憲法改正の国民投票法を国会で成立させた。施行は3年後の10年5月で、09年の総裁選は施行前だった。安倍は密かに施行後の12年の総裁選に照準を合わせて機会を狙っていた可能性がある。
参院選勝利には景気回復が不可欠
総裁選出馬を決断する際、安倍は「国家的危機」や「国難」への取り組み、宿願の改憲実現といった目標を構想したのは間違いないが、政権を手にした安倍は「外交・安保・憲法」系のテーマは封印し、本来は得意とはいえない「経済・財政・金融」系の政策で走り始めた。
東大の学生の頃、小学生だった安倍の家庭教師を務めたことで知られる平沢勝栄(現自民党政調副会長)が解説する。
「安倍さんはおそらく長期政権を考えている。最初からすぐにパッパとやることによって軋轢を生じさせることはない。衆参の状況も国民の支持もしっかりしたときに約束したことをやると思う。だから、次の参院選が正念場です。その前に景気対策で結果が出なければ勝てない」