天皇を男性に限定したのは明治時代
それに、カトリック教会もチベット仏教も宗教であり、いくらその組織の規模が大きくても、それは民間の団体である。そうした宗教団体に対して、国連という政治組織が介入することは、近代社会で確立された政教分離の原則に反することになる。
そうした点で、葛城氏の国連に対する批判は的を射たものにはなっておらず、かえって日本側の認識の誤りを露呈する形になってしまった。日本政府の反論も、国連の勧告を軽視するものとしか、他の加盟国には受け取られないだろう。
しかも、日本の歴史を振り返れば、飛鳥時代から奈良時代にかけては、多くの女性の天皇があらわれ、江戸時代にも女性が天皇に即位している。天皇を男性に限定したのは、明治時代になってからで、法的には旧皇室典範からである。その点で、皇統は男性男系に限るという考え方は、近代に生まれたものである。果たしてそれをもって「伝統」と言えるのかどうか、そこがどうしても疑問になってくる。
もし皇室典範の改正がなされなかったとしたら、国連の委員会は、ふたたび同じ勧告を行うだろう。選択的夫婦別姓に対する勧告が4回に及んでいるわけだから、事態が変わらなければ、勧告はくり返されるはずだ。
女性宮家創設で生まれる新たな女性差別
懸念されるのは、その間に、今、皇族の確保のために模索されている女性宮家が実現されたときである。
女性も宮家の当主になれるという点では、女性差別の解消に一歩前進したように受け取られるかもしれない。ただそこで問題になってくるのが、宮家となった皇族女性と結婚した配偶者や、その間に生まれた子どもの扱いである。
現在のところでは、女性宮家の配偶者や子どもは皇族とはしないという考え方が有力である。仮に愛子内親王が結婚した後、女性宮家に皇族として残っても、その夫や子どもは皇族ではなく、一般国民にとどまることになる。
となると、男性宮家の妻や子どもとの間に格差が生まれる。男性宮家の妻や子どもは、そのまま皇族になるからである。
これは新たな女性差別ではないか。
国連の委員会はそれを問題にするだろう。となると、さらに勧告は厳しいものになるかもしれない。
そうなれば、政府も勧告に対して反論することが、今以上に難しくなっていく。そもそも、皇統を男系男子に限定した明治以降の考え方は、家父長制を基盤においており、現代の感覚からすれば、完全に時代遅れのものなのだ。