親に「勉強しろ」に言われた東大生は少ない

とはいえ、彼本人は頭がよすぎて、向かい合って話していると緊張して変な汗が流れるような感じがするほどの人です。声を荒らげる姿など、一度も見たことはないのですが、何もかも見透かされているような気がして、すごく怖い。彼のことを知っている人は皆、一様に「おっかない人だよ」と言います。

話しているときの頭のキレや知識の豊富さ、興味の範囲、物の見方などから、東大には楽々受かるポテンシャルのある人だということは容易にわかります。実際に知能指数は高く、地頭がとてもいい人です。

私の周囲の東大生に話を聞くと実は「勉強しろ」と言われて育った人は少数派であるような感があります。

私がそうであったように「勉強するな」と言われたり、本を読んでもいい顔をされないので隠れて読んでいたり。あるいは「この子は変わっている」「子どもらしくない」と心配されたり。統計を取ったわけではないのでリアルなデータはわかりませんが、少なくとも私の周りは「勉強しろ」と言われて素直にコツコツとやってきたタイプは少なかったのです。

写真=iStock.com/Sanga Park
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子どもの能力と親子の絆は別もの

勉強ができ、成績がよくても親は心配になるもののようです。心配していた親の心理はどういうものであったか。自分の手元からどんどん離れていき、自分をはるかに凌駕する感じが親としては分離させられるようで寂しかったのではないでしょうか。

親御さんたちは、子どもが社会の中でうまくやっていけるようにと心配する気持ちももちろん持っているでしょうが、絆が薄まってしまうことへの不安のほうが時に大きくなってしまうことがあるのかもしれません。

中野信子『なぜ、愛は毒に変わってしまうのか』(ポプラ社)

子との絆に親としてのレゾンデートルを求めるのは完全に親側の自分勝手な都合です。絆に何かを求める気持ちが強すぎて、「この柵の向こうへ行ってはいけませんよ」と枠を設けて子どもを支配下におくことで安心しようとする。

たしかに自分の子どもなのに、自分にははかりしれない能力を持っていたら、戸惑ってしまう気持ちにもなるでしょう。しかし、能力と絆は別ものです。自分が親であるという事実は変わらないのです。

子どもは親の影響を受けて育ちます。けれど完全に別人格の存在でもあります。自分と似ていなくても、自分とそっくりでも、淡々とその子の人格を受けいれることができれば、互いに幸せだろうと思います。「こんな子に育ってほしい」というのも親のエゴかもしれないのです。

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