最後の願いも死後に転覆させられた
12月15日、ついに三条天皇は道長に、翌年正月に譲位する旨を申し出て、翌長和5年(1016)、太上天皇となった。むろん、即位したのは一条天皇の第二皇子で道長の外孫、敦成親王だった(後一条天皇)。
譲位に際して、自身の第一皇子である敦明親王を東宮にすることを条件とし、それを道長に認めさせたのが、三条天皇のせめてもの救いだっただろうか。
その後、寛仁元年(1017)4月に出家し、まもなく崩御した。享年42。
それから4カ月して、敦明親王は東宮位の返上を申し出ている。東宮として頼れる相手がいなくなったからだとされるが、道長からの無言の圧力が大きかった可能性も指摘される。『小右記』によれば、長和4年10月、道長は三条天皇に、「三条の皇子たちは東宮の器ではなく、故院(一条天皇)の第三皇子(敦良親王)こそ東宮にふさわしい」という旨を話していたという。
道長の思惑どおり、敦明親王に代わって東宮になったのは、道長の外孫(後一条天皇の弟)の敦良親王だった。冷戦はなにもかも、道長の勝利に終わったのである。