与党に恩を売りながら「野党」の顔をできる姑息な戦術
にもかかわらず同党は「石破氏の名前を書いていないのだから、別に支持したわけではない」と言わんばかりだ。自分たちの政治判断をはっきりさせないことで、支持団体の連合を下手に刺激するのを避け、来夏の参院選では「野党」の顔をして、連合や立憲民主党の協力を得ながら選挙戦を戦おうとしている、と考えざるを得ない。
これを姑息と言わなくて何と言うのだろう。ほかのメディアのように、こういう態度を「対決より解決」「政策実現を重視」などと言って持てはやす気には、筆者はとてもなれない。
「石破氏を支持する」と言うのなら、堂々と首相指名選挙で、石破氏の名前を書いて投票すればいい。支持者の批判を受けるリスクは生じるだろうが、その責任を自らが背負い、丁寧に説明して理解を得る覚悟を持つべきだ。「書いても書かなくても結果が同じだから書かない」と言って政治的意思を示さないありさまは、国会議員としてあまりにも情けない。
「30年ぶりの決選投票」を保身のために無下にするのか
国民民主党に限ったことではないが、全ての衆院議員は、ついこの間行われたばかりの衆院選で、多くの有権者に自分の名前を書いてもらったからこそ当選できたはずだ。有権者の中には、もしかしたら別の候補との間で、悩みに悩んだ人もいるかもしれない。何らかの判断をして名前を書いた1枚1枚の投票用紙が、議員たちを国会へと送り出した。
そんな有権者たちの思いを代弁するため、今度は一人ひとりの議員が「首相を選ぶ」選挙に参加する。それが、当選した彼らにとっての最初の仕事なのだ。それも今回は「30年ぶりの決選投票」という歴史的な局面だ。
国民民主党の議員は、自分たちの保身のために、それを雑に扱おうとするのか。
党としての正式決定は、今後の両院議員総会になる。せめて党の所属議員が一人でもまともな感覚を持ち、玉木執行部をいさめる声が出ることを願ってやまない。