搭乗予定機が炎上、戦友が銃殺刑に…

出撃は5月25日に決まった。

「命令が出たら、従うしかないちゅうのは分かっていたから、反発することはできなんだ。命令が出た時は、あきらめというか、覚悟というか、もう行かなきゃ仕方がないという気持ちだった。でも、表には出さなんだけど、内心は死にたないという気持ちで一杯だった」

ところが、出撃2日前、人生を変える事件が起きる。5月23日、搭乗予定だったさくら弾機が炎上、消失してしまったのだ。

「出撃2日前の5月23日午前五時頃、『さくら弾機一機が燃えている』という連絡が入ったんです。憲兵隊は何者かが故意に火をつけたと決めつけ、夕方、通信係の山本辰雄伍長を連行しました。山本伍長は韓国出身の少年飛行乙14期。軍法会議で死刑を宣告され、終戦の1週間前、福岡の油山で銃殺されました。でも、さくら弾機が消失した夜は、わしらと一緒にいたから、山本伍長が火をつけていないのははっきりしていた。わしらメンバーを調べれば、彼がやっていないのははっきりしたのに、我々から何も聞かないで逮捕した。ぬれぎぬを着せられた上に銃殺されたのだから、可愛そうで仕方がない」

出撃前日に遺書を書いた

花道は、昨日のことのように悔しそうに語った。

「ただ、搭乗予定のさくら弾機が燃えてしまったことで、正直言うと、一瞬、助かったと思った。表に出さないで、心の中にとどめていたが、次の瞬間、ト号機(編集部注:さくら弾機と同様、重爆撃機を改造した特攻機)で出撃するように命令が出た。もうあかんと思った」

出撃の日は刻々と近づいていた。

特攻出撃が決まった後も、自分が特攻隊であることを知らせまいと、両親に手紙を書いたことはなかったが、出撃前日、遺書を書いた。髪の毛と爪と給料を封筒に入れ、それを箱にしまい、「もし、わしが帰って来なかったら、送っておいてくれ」と、戦友に預けた。

「死ぬのは怖くなかったし、当たり前の事で、仕方がないちゅう頭やった。気持ちに変化はなかった。ただ、そうはいっても出撃する前の日は動揺した」

ある機関士が打ちあけたこと

花道は話を続けた。

「一緒に出撃する機関士の桜井伍長が突然、『ほかの人には言えないけど、好きな女の子がいて、お腹の中に子供が出来た。死にたくない』と話してきたんだ。彼の涙を見て、わしも、初めて死にたないと実感した。『おお、そうか。死にたないのはお前だけじゃない。わしも死にたないけども、これは表には出せんからな』と即座に口止めしたのを覚えている」

花道はその時の気持ちをこうも振り返った。

「内心、死にたくないというのは国賊や、軍人やない――という気持ちを持っとったけど、彼の話を聞いて、わしだけじゃない、連れができた、と安心した。みんな、国のためと言い残しているけど、内心は、死にたくないちゅうのがほんまだったんじゃないかなあと思う。わし自体が間違っているかもしれないけど、行きたくなかった、死にたくなかったというのが本音。今だから言える事だが……」

出撃前夜はほとんど眠れなかった。それでも、花道は出撃する。