沖縄への出撃命令

昭和20年4月12日、特攻隊として沖縄への出撃命令が出され、福岡県・大刀洗町の陸軍大刀洗飛行場に移動した。

陸軍の四式重爆撃機「飛龍」
陸軍の四式重爆撃機「飛龍」(画像=Pazuzu/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons

「西筑波飛行場で出陣式があって、戦隊長が『これから大刀洗に出ていく』と訓示したんです。わしらは三番機だったんですが、戦隊長が乗っとった一番機が離陸したあと、急に機首を上げたかと思うと、ストンと落ちたんです。後ろで見とったんよ。落ちると同時に火がついて燃え上がった。その火を見ながら離陸し、大刀洗に向かった。大刀洗飛行場に着いた時、驚いたのは、滑走路が穴だらけなんですよ。艦載機の攻撃の跡だと後で分かりました。しかも、所々で時限爆弾が爆発しているんです」

と、手ぶりを交えながら、当時の様子を話した。

大刀洗飛行場では、甘木の旅館が兵舎代わりに宿泊所になった。

「旅館について間なしに、旅館の16歳の女の子がマスコット人形をくれたんです」

こう言うと、胸に手を当て、

「いつもここにぶら下げとったんですが、ときたま、駐機しとった飛行機の操縦席の所に吊るしました。いつも死と隣り合わせだったから、人形の顔を見ていると、何だか力が出るような気がしました。この可愛い女の子を護るために戦うんだと……」

と、当時を懐かしむようにほほ笑んだ。

「えらいもん、もらったなあ、死にたくないなあ」

大刀洗飛行場でさくら弾機(編集部注:陸軍の重爆撃機を改造した4人乗りの大型特攻機)を初めて見た。その時の気持ちを次のように語った。

米軍に接収された四式重爆撃機「飛龍」
米軍に接収された四式重爆撃機「飛龍」(画像=SDASM Archives/PD US Air Force/Wikimedia Commons

「とにかく格好を見てびっくりした。これでよう飛べるなあって思った。重量を軽くするために、機関砲や機関銃は全然ないし、前の部分とか、力のいらないところは、ほとんどがベニヤ板。それに3トンの爆弾を積んでいる。このころ、前方3000メートルとか、後方300メートルとか、一里四方が吹っ飛ぶとか、うわさがあった。それに目方が重たいんで、燃料も半分しかないちゅうことを聞いた。

最初、ふくれているところが何か分からなかった。中に入ったら、茶色の大きな鍋みたいなのが座っている。ボルトでとめているけど、エンジンを掛けるとガタガタ動くんですよ。何か、上からかぶさってくるような感じで、ものすごく怖かったですよ。それが爆弾だと聞いたときは、口には絶対に出さなかったけど、これで一緒に行かないかんのかと思うと、内心は、えらいもん、もらったなあ、死にたくないなあーーと、怖かった。でも、人前ではおくびにも出さなんだ。そもそも、2.9トンの大型爆弾を組み込まれているから、こんなに重くて、(機体が)浮き上がれるんかという不安もあった」

さくら弾機の構造
出所=『「特攻」の聲 隊員と遺族の八十年』(図表:小林美和子)

5月に入ると、さくら弾機の搭乗員に指名される。一緒に搭乗するメンバー3人も決まっていた。ところが、4人とも、さくら弾機そのものに乗っての実際の訓練は一度も経験がなかった。

「一度は乗ってみたいと思ったけど、機長も、機関係も通信係も、誰も乗ったことがなかった。離着陸の訓練で、事故でも起こすと吹っ飛んでしまうから。ぶっつけ本番だった」