紫式部は道長よりも長生きし、第三部まで書き上げたか
【澤田】そうすると、第二部以降の執筆時期はだいぶ後ろに下がるとお考えですか。
【倉本】そうですね。長和3年(1014)に紫式部が亡くなったという説はまったく成り立たず、道長の死後も生きていたと私は思っています。だから、紫式部はかなり後になって『源氏物語』を書きあげたのではないかという気がしています。最初は道長の影響を受けて書き始めた『源氏物語』ですが、やがて紫式部自身の成長や、式部が仕える彰子の政治的な成長を受けて物語の構想が広がり、第二部以降の苦難の物語を描くにいたった。まだ今朝、思いついたばかりのビジョンですので、煮詰まってはいないのですが。
【澤田】『源氏物語』の構成とリンクさせる考え方は、非常に興味深いですね。
【倉本】私は歴史学の研究者ですので、こうした考えを根拠もなく書くというわけにはいきませんが、フィクションの構想として使うなら、実に魅力的な紫式部像が描けるような気がしています。
【澤田】藤原道長の研究は以前から盛んでしたが、最近、歴史学の世界でも、彰子の研究や、彰子がその後の藤原氏に与えた影響などについて研究が進んできていますよね。そういう切り口から紫式部を描くというのも、面白いかもしれません。
【倉本】いっそのこと、彰子を主人公にする大河ドラマも「あり」ではないでしようか(笑)。