遅刻寸前。高峰は能面のように白く、冷徹な目で

5歳から引退する55歳まで50年、撮影を無遅刻無欠席で通した人である。

「あるときね、前の晩から熱が出て、朝になっても下がらないから、さすがに今日の撮影は休ませてもらおうと思っていたら、その日は大雪で。撮影所から電話が入って『今日は雪がひどいから撮影は中止です』って。だから欠席にならなくて、無遅刻無欠席」、そう述懐して悪戯いたずらっぽく微笑んだのは75歳のときである。

私も怖かったことがある。初めての拙著の装丁を相談するため、松山家のジャガーに同乗させてもらってホテルオークラで編集者とデザイナーに会う日だった。「11時に来なさい」と言われていた。まだ近くのマンションに住んでいた頃だ。私はものすごく朝が弱い。バタバタと支度して自宅を出、鼠坂と植木坂を駆け上り高台に着くと、ジャガーが松山家から20メートルほども先に止まっているのが見えた。腕時計を見ると、11時まであと1分。私は猛ダッシュしてジャガーにたどり着き、転げ込むようにして席に座り、「セーフだね」、甘えるように言うと、

「置いていきますよ」

あのときの高峰の顔。能面のように白く、冷徹な目。怖かったぁ。

「11時と言われたら、5分でも10分でも早く来るものです」

グウの音も出なかった。

「ダメです」「イヤです」「お断りします」

高峰は夫・松山善三から「ほとんどビョーキ」と言われるほど、また自らも「癇性」と認めるほど、清潔・整頓好きだった。つまり几帳面。それは何事についても同じだった。

返事が早かった。

来た手紙、送られてきた物に対して、その日に返事を書いた。もし高峰が生きていて、メールやラインをしていたら(しないと思うが)、即座に返信が来ただろう。

手紙についても名言がある。

「年寄の手紙は嫌い。長いから」
「返事を書きたい手紙には住所がない」

取材や原稿依頼に対する可否も早かった。気をもたせたり、待たせることをしなかった。晩年は、どこのどなたが電話で依頼してきても、三言しか言わなかった。

「ダメです」「イヤです」「お断りします」

側で聞いていて、一度でいいからこんな風ににべもなく断ってみたいものだと憧れたのを覚えている。だがいったん受けてくれたら、原稿は締め切りの2日前にくれた。