権力というのはかくも儚いものなのか

しばらくたって角栄先生が倒れた、というニュースを見て、すぐに八尋護さん(小沢一郎氏の「金庫番」と呼ばれた人物)に連絡をとりました。

石破茂『保守政治家 わが政策、わが天命』(講談社、倉重篤郎編)

「会うことはできないだろうが、入院先の逓信病院までなら来てもいいぞ」と言われ、選挙区回りの日程を変更して病院まで見舞いに行きました。2時間待っても、3時間待っても会えない中で、八尋さんだったか、秘書の朝賀昭さんだったか覚えていませんが、「石破、こんなところにいないで、親父のために選挙を頑張れよ」と声をかけられ、背中を押されるようにして選挙区に帰りました。

そして、86年7月6日の衆参ダブル選挙で初当選して上京し、最初に伺ったのが目白でした。その時は田中眞紀子さんの夫の直紀さんが2期目の当選を果たし、直紀さん、真紀子さんご夫妻を中心に、「おめでとうございます」という人がいっぱい来ていましたが、角栄先生を訪ねてきていた人はいなかったようでした。

私も当選したばかりで、まだバッジもつけていませんでした。誰も知らないし、声をかけてもらうこともありませんでした。結局、角栄先生に会えるわけでもなく、しょんぼり帰りました。

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらはす。平家物語ではありませんが、あの角栄先生の絶頂期を知る者の一人としては、権力というのはかくも儚いものなのか、ということを実感したものでした。

その後、角栄先生にお会いできることはついぞなく、その間、リクルート事件があり、ついに自民党が政権の座から滑り落ち、田中派にもいたことのある細川護熙先生を首相とした連立政権ができます。1993年12月16日、角栄先生が亡くなったのは、そういう一連の大政局の中で、奇しくも私が自民党を離党した日でした。

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