性的DVを理由に約2週間で離婚を要求

原則的に女性には離婚請求権はなかったが、夫に落ち度があれば、離婚できるのが江戸時代であった。

そんな事例を一つ紹介する。

江戸後期に藤岡屋由蔵が日々の風聞をまとめたのが『藤岡屋日記』である。そこに次のような話が採録されている。

小石川原町に住む医師の天公法現は、鍼灸師・妙仙と結婚し、正月3日に同居したところ、妙仙は18日に元の住居に逃げ戻り、仲人や親族に夫のひどさを訴え、離婚を求めた。

なんと、嫁いだその日から翌日まで18回も性交されたうえ、それから10日間は昼夜なく交わり続け、妙仙は「陰門腫痛しょうつう」し、裂傷を負ったのである。いまなら強姦罪だ。

そこで妙仙の親族が法現の屋敷に怒鳴り込んだ。法現は「妙仙を養生させたうえで離婚話を進める」と約束、そこで彼女を家に戻したところ、その夜また、妙仙を強姦したのだ。

これで怒った仲人と親族は、慰謝料を法現から取って、妙仙を離婚させたという。

夫から逃げたい妻を救った「縁切り寺」

ただ、驚くべきは夫婦の年齢である。妻の妙仙は50歳、夫の法現は92歳だった。

このケースは明らかに夫に非があって離婚が成立したのだが、原則的には夫が離縁状を出してくれなければ離婚は成立しない。だから飲んだくれ亭主や暴力を振るうDV夫から逃れられない、そんな悲惨な妻たちもいた。

だが、一つだけ彼女たちを救ってくれる方法があった。

縁切り寺へ駆け込むのである。

代表的な寺が鎌倉の東慶寺である。鎌倉幕府の執権北条時宗の妻・覚山尼が創建した寺で、彼女は息子の九代執権貞時に「ひどい夫のために自殺する女性が後を絶たない。彼女たちを寺へ召し抱え、夫と縁を切って身軽にしてやりたい」と願い、朝廷の勅許を得て縁切(御寺法)が認められることになった。

東慶寺 本堂(写真=Naokijp/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons

その後、東慶寺の第二十世・天秀尼(豊臣秀頼の娘)が徳川家康に縁切の永続を願って許可され、以後、江戸時代を通じて女性を救ってきた。