造ってしまったら「戦えない」とは言えない

【保阪】想定していたのは大艦巨砲による艦隊決戦だったのですね。

【半藤】そうです、そうです。そして巨大戦艦をこしらえてしまったら……。

【保阪】仮想敵国との関係が悪化して、追いつめられれば、もう戦争せざるを得なくなってきますよね。

【半藤】そういうことです。

【保阪】巨額の予算を獲得して造っていったとなると、いざとなって、陸軍から「お前たちは予算をとっただけで何もできないのか」と責められたらもう引き下がることなどできなくなってしまいます。

【半藤】「戦えない」などとは言えませんねえ。けれども当時、超弩級ちょうどきゅうの戦艦を造っていることなど、私たち国民はまったく知りませんでした。戦争中も聞いたことがなかった。

【保阪】伏せられたのですね。

【半藤】もし広く国際的に発表したのなら、「防御兵器」として効力を発揮した可能性がある。それを考慮に入れたならば、隠すのではなくてむしろ公表すべきでした。

【保阪】抑止力になったということですね。

【半藤】ところがひた隠しに隠した。隠すことなど無意味だったのに。

【保阪】なんで秘密にしたのでしょうねえ。アメリカは知っていたのですか。

【半藤】いや、アメリカは知らなかった。戦争の終盤にいたってようやく気がついたようですが。

明治以来の技術の結晶

【保阪】福田啓二が、大和と武蔵、信濃沈没の原因を語っています。

沖縄突入作戦のとき大和を襲撃した飛行機数は延べ一、〇〇〇機に及び、武蔵の場合の一五〇機以上に比べて格段に多い。命中魚雷数において武蔵の場合には二十本(右舷うげんに七本、左舷に一三本)なるに対し、大和の場合は一二本(右舷に一本、左舷に一一本)であった。大和の被害は武蔵に輪をかけたほどで、艦尾の無防禦部も殆ど浸水したらしい。従って武蔵の如く艦首沈下の状態は起こさなかった。武蔵や大和があれだけの攻撃に耐えたと云うことはむしろ驚異である。

二艦とも活躍の場面はなかったというのに、なかなか沈まなかったことを誇らしく語っているのです。

【半藤】まあ、そうはおっしゃいますが、明治以来ずいぶん長いあいだ日本海軍は戦艦を他国から買っていたわけですから、福田啓二のような技術陣はそう言いたくもなるのです。明治末から長年培ってきた造船技術を注ぎ込んだ結晶ですからねえ。

【保阪】しかし戦備・戦力として使わずにおいて、出て行ったのは敗戦ギリギリのタイミングでの沖縄特攻。最初から沈められることはわかり切っていた海上特攻でした。ここにいたるまで使わなかったのはなぜなのでしょうか。そこがわからない。

【半藤】じつは使うチャンスはあったのです。ガダルカナル戦に投入しようじゃないかという判断はあり得た。だけど残念ながら、油がなかったんですよ。

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