「死後の世界」はあなたが決める
私の高校時代の同級生に、中田考さんというイスラム学者がいるのですが、彼は死後の世界を信じているから、世俗をまったく超越していて、生への執着がまるでない。
だから医者にかかったこともないし、毎日イスラム教の戒律に従った生活をしています。
私は信心深い人間ではないし、死後の世界も信じていませんから、よくわかりませんが、そのほうが生きるのは楽かもしれません。
ほかにも、死んだらあの世で愛しい人に再会できるとか、大好きな家族に会えるのが楽しみだとか言って、死ぬこと自体をそんなに恐れていない知り合いもいます。そう思えたら、死ぬのも楽だろうなあと思います。
「人間、死んでから」と言いましたが、死んだ後に自分自身がどうなるのか、どこへ行くのかという意味での死後と、死んだ後に自分がまわりからどう思われるかという意味での死後、そのどちらを意識するかは、人それぞれだと思います。
ただ不毛なのは、死ぬことをあまりにも不安に思うことです。
適度な死の意識のしかた
死を意識したほうが、「生」を楽しもうという気にはなれます。しかし、死をあまりにも意識しすぎると、不安が募ってきて、「生」の邪魔になることがあります。
たとえば、高齢になって再婚したいと思っていても、子どもたちに反対されてしかたなくあきらめるというのは、死に際を彼らに看取ってもらいたいと思い詰めるからでしょう。
ただ私は、適度な死の意識のしかたがあると思っています。
それは、自分の心と体の声をしっかり聞いて、10年後に生きていられるかどうかわからないから、やっぱり旅行に行こうとか、これだけはやっておこうとか、そういうふうに考えると、死ぬまでの生活をより濃厚に楽しめる。
「極上の死に方」とは、つまるところ、死ぬ間際まで「極上の生き方」を追い求めるということ。人生の幕が下りるまで、自分らしく生きぬくということです。死ぬ瞬間までは生きているのですから。
死はいつ訪れるかわかりません。長年、多くの高齢者を見てきた経験から言うと、生きている間に思いっきり楽しんで、「生」を充実させておいたほうがいい。それだけは間違いはありません。