ミケーレ氏の大胆なスタイルは、いかなるファッションハウスも断ち切れなかった「男性らしさ」「女性らしさ」の固定観念を一瞬で打ち砕き、ファッション界に新風を吹き込んだ。伝統を重んじる慎ましかったグッチ像が、音を立てて崩れた瞬間だった。
デビューコレクションではまた、草花をあしらったさわやかなシャツを披露したが、当然それだけでは終わらない。着用したモデルの手には、モデル自身の顔そっくりに作らせた、まるで生きているかのように精巧な生首を持たせた。インパクト重視がミケーレ氏の流儀だ。
ミケーレのビジョンは、単なるファッションデザインの革新にとどまらず、ブランド全体のイメージを刷新し、グッチを再びファッションの最前線に押し上げた。
セレブが絶賛、売り上げ増に大きく貢献したが…
ミケーレ氏はローマで生まれ育ち、幼少期から芸術に触れる環境で育った。母親はイタリアの映画業界で働いており、父親は航空会社アリタリアの技術者でありながら、彫刻家としても活動していた。彼はローマの中心部で育ち、古代遺跡や美術館を訪れることが日常だった。このような背景が彼のデザインに大きな影響を与えた、とニューヨーク・タイムズ紙はみる。
その後、イタリアのニットウェアブランド「レ・コパン」でキャリアをスタートさせ、さらにフェンディを経てグッチに移籍した。
彼の評判は非常に高く、エルトン・ジョンやジャレッド・レトなどの著名人からも称賛されている。同紙によるとエルトン・ジョンは、「彼の服はユーモアがあり、バスケットボール選手やNFL選手、そして自分のサイズを気にせず楽しめる人々のために作られている」と評価している。
ミケーレ氏はグッチに注力した20年間を通じ、ブランドの在り方を再定義し、売り上げを大幅に増加させた。米カリフォルニア州マリブでブランドコンサルタントを営むダニエル・ランガー氏は、高級ファッション市場を分析するジンデイリーへの寄稿のなかで、ミケーレ氏のデザイン手法がそのキャリア終盤、「同じことの繰り返し」と批判されるようになっていたと指摘する。
「奇抜すぎる」と考える消費者も
記事は、「亀裂や一貫性のなさが目につくようになった」「コレクションはギミックが多く、芝居がかったもの」になったとの声が次第にファッション界のオブザーバーから漏れるようになった、と指摘する。
ブランドの革新性は失われ、インスピレーションが停滞していると感じられることも少なくなかった。それまで伝統を重視したグッチにふさわしくなく、「奇抜すぎる」と考える消費者も増えた。