自宅に押し寄せる人、人、人
渋沢が関わった福祉機関・教育機関は、設立した企業数(約500)を上回る約600とも言われている。会社とあわせると生涯で1000以上の組織に関わったことになる。もちろん、渋沢がいくら精力的とはいえ、当然、渋沢一人で立ち上げられるものではない。アイデアにも限界がある。彼の著書の『論語と算盤』にはこうある。
彼は孔子の熱烈な信奉者だった。論語を枕元に置き、悩みがあると寝る前に手にとって読んでいた。現代よりも儒教色が強い当時でも異色だった。
「多数の訪客に接するは人間の義務」という孔子の教えを守り、忙しくても渋沢は時間が許す限り、人と会った。これにより、人との縁もでき、情報を得て、新たな事業の着想が生まれた。現代ほど情報が流通していない時代、人が情報を運んできたのだ。
渋沢ほどの人物ともなれば、多忙だ。時間は有限だ。実行するのは簡単ではない。それにもかかわらず、朝の出勤前に面会時間を設けて、誰とでも面会した。相手の身分を問わずに、分け隔てなく、応じた。
「金をくれ」という訪問客に対してやったこと
高齢になってもその習慣は続き、少ない日でも毎朝10人の訪問があったという。
相談の内容も千差万別だ。渋沢を利用しようとする者も少なくなかったという。
当然、どこの馬の骨ともわからない者も押し寄せてきた。「金をくれ」というものもいれば、弟子にしてくれというものもいた。それでも誰とでも会うという姿勢は崩さなかった。誠意をもって耳を傾け、自分の良心にもとづきできるだけの答えを示し、ときに相手を諭した。