「心身が満足する」という経験がない

私たちは、親に気持ちを聞いてもらって、受け取ってもらって、理解してもらった体験を積み重ねて大人になってきた。もちろん、いつも希望通りになるとは限らないが、それでも「わかってほしい」気持ちは通じることを体感で知っている。これは、普通の親子関係があったからこそである。

専門的な言い方をすると、親子の愛着関係が成立していたのである。

愛着関係とは、J・ボウルビイの研究による成果から見出されたもので、母親(主たる養育者)との持続的かつ情緒的に豊かな関係が、子の心身の健康を後押しするとしたものである。

親との愛着関係という基盤を持っているからこそ、私たちは人との心のつながりを、いつも欲し、求めている。人生の初期に「愛着関係」を通して知ったのは、心身が満足するという経験である。だからこそ不満足もわかる。背景に児童虐待がない依存症問題の場合は、こうした欲求を充足したいという気持ちが土台にあるからこそ、割とはっきりと「のめり込む」のだ。

しかし虐待を受けてきた人には、こうした心理が「ない」か、もしくはかなり「薄い」ようである。彼ら被虐待者にとっては、わかってもらえないことが自然で、わかってもらおうとすると、かえって傷つくだけだった。親子の愛着関係が「不成立」だったからである。

そうした環境下では、親は子の心身の健康に無関心である。だから子は満足したことなどない。不安と不快で固定された人生を生きていかなければならなくなる。そして、子の期待は必ず裏切られる。

だから、名取さんにとって裏切られることは「あたりまえ」なのである。

満足したいがための依存症問題ではなさそうである。

私はスクールカウンセラーの立場で働くこともあるが、虐待を受けている子ほど、助けを求めには来ないし、相談しにも来ない。わかってもらいたいという欲求の充足や、わかってもらえるという安心を、端から期待していないか、知らないかのようでもある(詳しくは、『なぜ「子供の自殺」が増えているのか…学校カウンセラーが「眠そうな子が危ない」と警鐘を鳴らす理由』を参照)。

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「裏切られること=生きていること」

名取さんが生きる世界では「裏切られること=生きていること」である。裏切られていると、自分の存在を確認できる。母親から肯定してもらえなかった存在を、彼らはこうして苦しみを介して確認している。

ギャンブルに負けていたほうが自分を確認できるのは「幼児期の外傷体験」であるネグレクトや心理的虐待が原因である。負けが込んでくると、妻に合わせる顔がなくなる。何をやっているんだろうと自分でも思う。そういうダメな自分を包む空虚を「意識することなしに行動で反復」している。

精神分析の世界では、これを「反復強迫」という。反復強迫とは、幼児期の外傷体験を意識することなしに行動で反復してしまうことだ。

名取さんのギャンブル問題の背景もここにある。

だから負けるたびに、彼は「ああ、やっぱりか」と人生に納得する。それで、かえって安心する。だからまた「負けに行く」。表面上は依存症問題のように見えるが、根っこに巣食っているのは虐待問題である。