「思い通りにならない」ことを確かめる儀式のよう

一般的な感覚では、ギャンブルやゲームは勝って楽しむものである。勝つこともあれば負けることもある。その分、勝ったときには興奮するものだろう。だから私たちは、ときに熱中する。こういう心理は、ギャンブルに限らず誰でも多少の心当たりがあるのではないだろうか。

身近な例では、応援しているスポーツチームの勝ち負けなどである。負けが続いていたときに勝てば、嬉しさも大きい。そして、みんなで喜び合えば、なお楽しい。熱中して楽しめば、心はそこそこに満足である。

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しかし彼は、あまり勝敗に対して心が動いていない。まるで「どうせ思い通りにならない」という結果を確認するための儀式のようである。そして、どこをとっても独りである。

「名取さんのギャンブル問題は、ちょっと普通とは異なるようですね」
「それは、どういう意味ですか」
「ええ、まだ詳しくうかがっていないのでわかりませんが、子どもの頃から寂しい経験をしてきたのだろうと思いましたよ」
「はあ、そうなんでしょうか」

初回の面談はここで終わった。

「あたりまえ」を歪ませた幼少期の心理的虐待

名取さんは定期的に相談に訪れるようになり、次第に幼少期の話題になった。カウンセリングが深まっていくと最終的には家族の問題へと至るこの流れは、どんな人でもほぼ共通している。

母親の話になったときのことだった。彼は次のように話した。

「母親は気性が激しい人でした。どんなことで怒り出すのか、予想がつきませんでした。ある日、たまには褒めて欲しいと思って、小学校のテストで98点を取ったので母親に見せたんです。そうしたら『いま忙しいんだ! 話しかけるな!』って。そのとき母親は、居間で寝転がってテレビを観ていたんですが」

これ以外にも、家の中での異常な親子関係の描写が確認できた。彼が心理的虐待やネグレクトに曝されてきたことは、間違いなさそうだった。これらは積極的な暴力こそないが、親側の気分次第の一貫性のない態度で一方的に接せられるため、子の側の心だけがしおれていく。しかも目には見えない虐待だけに、子も自分が虐待されているとは気づかない。

この環境下では、子どもにとっては期待が裏切られ続けることの連続になる。何をしても、親は振り向いてくれない。だから、いつの日か裏切られることが「あたりまえ」になる。

ここに、普通の人とは異なる心理が生まれる要因がある。