和歌の世界では「カエル=カジカガエル」

菜の花に かこち顔なる 蛙哉 小林一茶

「かこち顔」は「恨めしそうな顔」という意味である。

いったい、何を恨めしいと思っているのだろう。

それは一茶にもわからないことだろう。本当の理由はカエルに聞いてみなければわからないのだ。

まるで、カエルを擬人化したアニメを見ているようなユニークな俳句である。

この句の「菜の花」は春の季語である。ちなみに「蛙」も春の季語である。

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それにしても、どうして、蛙は春の季語なのだろう。

冬眠をしている冬は別にしても、カエルは、春から秋までずっといる。むしろ、梅雨時の方が、カエルが盛んに鳴いているような気がするが、どうだろう。

それなのに、蛙が春の季語というのは、すぐにはピンと来ない。ちなみに梅雨時期に盛んに鳴くのは、アマガエルである。

アマガエルは漢字では「雨蛙」。雨が降る前に鳴くことからそう名付けられた。この雨蛙は夏の季語である。

それでは、春の季語となるカエルは、どんなカエルなのだろう?

そもそも、俳句は和歌から誕生したものである。和歌の五七五七七の最初の五七五の発句を独立させたものが、俳句となった。

風流を詠む和歌の世界で、カエルと言えば、カジカガエルのことである。

「菜の花畑のカエル」は何ガエル?

カジカは漢字では「河鹿」と書く。鹿の鳴き声に似ていることから、「河の鹿」と名付けられた。カジカガエルは清流に棲むカエルである。「ルルルー、ルルルー」と鳴く、高く美しい声は、清流の流れる音と良く合う。まさに、風流の極みである。

この美しい声と、鮮やかに咲く山吹の花が、併せて詠まれることによって、和歌の雅な世界を創り上げていたのである。

もっとも俳句は、貴族ではなく庶民の間で広がった。

そのため、風流な世界というよりも、日常の世界を詠まれることも多くなった。

この歌で詠まれている「菜の花畑のカエル」も、そんな日常の風景である。

それでは、菜の花畑にいるカエルは、どんなカエルなのだろう。

一茶の活躍した江戸時代には、菜の花が盛んに栽培されていた。そして、菜の花を栽培し終わった後は、そこを耕して稲を作る。つまり、菜の花の多くは田んぼで栽培されていたのである。しかし、田んぼのカエルというと、田植えの頃に鳴くアマガエルの印象が強い。