「雑談がうまくなる本」を何冊読んでも話がうまくならない……そんな悩みを持つ人は少なくないようです。それは、コミュニケーションのスキルにばかり目がいって、かんじんの語彙、語感といった、会話の構成要素そのものがおろそかになってしまっているかもしれません。小手先のスキルより大切なのは言葉の豊かさと奥行きです。幸い、日本語には「季語」というものがあります。このほどその季語をテーマにした雑談の本を上梓した俳人、堀本裕樹さんに、初対面の人との会話を円滑にし、いつも会っている人との対話に彩を加える極意について聞きました。

余白があるから会話がひろがる

会話が上手いかどうかというのは言葉数ではないように思います。僕がやっている俳句は、言葉数を極限まで削っていかに多くを伝えるかを考えるものなんですね。不思議なもので、五七五の十七音からも人の個性はしっかり伝わってくるものです。短い表現をするために多くを省略しているわけですが、その余白があるから話が広がる。たぶん、小説の感想を言い合う会よりも、句会のほうが盛り上がると思います。細部まで表現できないぶん、受け取った側の解釈の余地が大きい。その句の命ともいうべきものが「季語」です。

日本にははっきりとした四季があり、それぞれの季節特有の風物や行事、情景や情感があります。意識していなくても、私たちの日常会話には季語があふれています。たとえば紅葉や雪。和歌の時代からの季題で、私たちは意識しないで使っていますよね。歳時記をひくと、柿紅葉、漆紅葉、銀杏黄葉といった季語もあります。これらはとりわけ紅葉(黄葉)が美しい木々ですね。雪についての言葉も実に豊富です。このあいだ降ったのは初雪でしたが、どちらかといえばべと雪でした。粉雪、細雪、といった言葉もあります。雪といえば冬、と思うかもしれませんが、淡雪や牡丹雪は春の季語なのです。雪明かり、名残雪、といった美しい言葉もありますね。

じつはこうした季語のバリエーションは、歳時記を見ればすぐにみつかります。季語の辞典である「俳句歳時記」の存在すら知らない人が意外に多いのですが、ぜひ手に取ってみてほしいですね。