俳句なら、倒れても続けられる
人間、いつかは必ずお迎えがきます。長生きできるかどうか、自分で決められるものでもありません。むしろ「必ず寝たきりになる」と覚悟したらいいと思います。僕はお寺の住職ですから、今まで700人ぐらいお葬式で送ってきました。その度にご遺族に亡くなった人のことを聞いています。人生は十人十色、全員違いますね。
2017年、これはいいことを教わったと思ったのは、ある奥さんの話でした。65歳までゴルフしたり野鳥の会に行ったり健康そのもので、ほとんど家にいなかったのが、膠原病になって家からほとんど出られなくなった。それでも85歳で亡くなるまで精神的には健康だったというのです。何が支えになったのですかとご遺族に聞いたら「俳句だ」と。若い頃から句作していたそうですが、確かに俳句なら倒れた後でも、続けられます。
人に「老後はどうしますか」と尋ねると、ゴルフだ旅行だと答える。でも「倒れたらどうしますか」と聞くと、ほとんど返事がない。そこまで考えてないのですね。元気で手足が動く間の人生と、倒れた後の人生、二段構えの人生を考えないといけない。それも元気なうちに考えておくのが肝心。倒れてからでは考える気力がなくなっちゃう。俳句も倒れる前に始めておく。いいことを教わりました。
それで僕も俳句を始めたんです。自然に対し敏感になりました。「庭で花が咲いている」という当たり前のことなのに、ずっと見入って楽しめるようになる。俳句を詠むと感性がボケないで済みます。
実は英語も始めました。インドへ行くとき、横にインド人の外科医が座っていて、話しかけてきた。するとだんだん哲学的な話、宗教の話になってきて、「メディテーションをやっているが、禅の悟りとは何ですか」と聞かれ、うまく話せませんでした。こういうときに深い話ができるといいなと思って。寝る前に1~2ページですが、アガサ・クリスティの探偵ものを原書で読んでいます。最近は日本の田舎にも外国人がたくさん訪れるから、少しでも話せると楽しみが増えるのではないでしょうか。
それから、下手なスケッチも。水彩画をやってみたいと言いながら何十年、家内に笑われています。でも俳句と、英語と、スケッチ、3つもやればいいでしょう。どれも寝たきりになっても続けられます。もし何もやってなかったら、倒れた後はボーッとテレビを見るだけになる。それだと人生つまらない。後は死ぬだけだ、と思うと絶望的です。最後は人間みな死ぬにしても、「自分なりに生きた」と言って死にたいですね。