そのためには、人間としてどう生きるか、ということを考えなくてはならないでしょう。幸田露伴が『努力論』のなかで「努力には直接努力と間接努力の2つがある」と書いています。俳句で言えば、句をいっぱい作るのは直接努力。でもそれだけではダメで、「心の感性を高める」間接努力がないといけないという。感性を磨くというのは、人柄をよくすること、人間らしく生きることじゃないか、と私は思います。自分に恥じないよう丹精に生きる、完璧にはできなくても真心込めて生きる。器用にこなすと人間はダメになりますね。例えばベテランの記者が文章を書こうと思えば、考えなくてもすらすらと書けるでしょう。でも、おかしいなというところを流さないで、丁寧に調べて書くと、「やってよかったな」と思える。お釈迦さまもおっしゃっています。終わったとき、気持ちが清々したと思えるのがいい仕事だと。人の評価なんて関係ないのです。やるだけやった、と自分を肯定できる生き方をすると、いい死に方ができると思っています。

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肯定というのは、今の自分をいいも悪いもそのまま認めてあげる、受け入れるということです。僕はもう73歳、老化がきています。疲れてくるとセミの声のような耳鳴りがする。検査しても「何ともない」と言われますが、治りません。そこで開き直って「僕は耳鳴り人間だ」と思ったら、すっと気が楽になりました。血圧を下げるために一日の目標7000歩を歩くようにして、努力はしているんですよ。でもそれ以上は求めない。そうやって今の自分を受け入れる。努力した結果であれば、自分なりにやったんだからいいじゃないかと言えます。反対に、いい加減にやっていると「情けない」と自分を卑下するでしょう。それが一番悪いのです。うまくいってもいかなくても、真心込めて生きることが大事。でも、あまり真剣では続かない。70%くらいの「いーい加減」がいい。すると、後に気持ちよさが残り、自分を肯定できます。僕は本を何冊も書いたけど、全然売れない本もありました。でもそれは結果論、ぜんぶ一生懸命に書いたんですよ。だから「まあ、いいか」と受け入れられる。

そうやって、ああだこうだと思い悩まず、「今、ここ」を生きること。食べるときは食べる、寝るときは寝る。禅の日常とは、そういうものです。それだけのシンプルなことが僕にもなかなかできなくて、明日のことを心配して寝付けなかったりするけれど。でも、「今、ここ」のなかに自分を放り込んで、今やるべきことをやっていれば、気持ちが落ち着くし、力が湧いてきます。過去のことや未来のことで思い悩んでいると、「今」がなくなってしまう。人生は「今」しかないのに、もったいない。心労が一番、寿命に毒ですよ。

気持ちの切り替えには、「呼吸法」が効きます。過去の心を引き継がないというのが、禅の教えです。人間には頭があるから、想像する。それもマイナスの想像をしがち。でも心配ばかりでは疲れてしまいます。そういうときは、呼吸が浅くなったり、乱れているもの。ゆっくり呼吸をして、気持ちを切り替えましょう。新鮮な空気を吸い、吐くときは雑念も一緒に吐き出すイメージで。それで悔しい、悲しいといった気持ちが消えることはありませんが、いったん棚上げにはできます。そうして、お金がなくても寝たきりでも、自分がやるべきこと、できることをやっていく。真心込めて生きるとは、そういうことでしょう。

▼寝たきりになっても「季節を楽しめる」趣味を持つ
俳句、水彩画など、趣味を「複数」持っておくといい。
▼「呼吸法」を意識する
丹田(へその下、4、5センチのところ)
吐くとき
丹田とおしりの穴に意識を集中させる。
吸うとき
丹田とおしりの穴の意識を弛緩させる。
心の中で「ひと――つ」「ふた――つ」
心の中で「ひとーつ」「ふたーつ」と十まで数えながら、呼吸を繰り返す。「ひとー」で吐き、「ーつ」で吸う。住職は、朝起きたら10分くらいやっているという。
藤原東演
宝泰寺住職
1944年、静岡県生まれ。京都大学法学部卒業後、東福寺の専門道場にて林恵鏡老師のもとで修行。臨済宗青年僧の会会長、妙心寺派教学部長、花園学園法人事務局長などを歴任。『お坊さんに学ぶ長生きの練習』『自分を変える「気づき」の般若心経』など著書多数。
(構成=東 雄介 写真=PIXTA)
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