昭和天皇とも生物学の話で意気投合し2時間も話し込んだ
敬三は大蔵大臣に就任して半年後、内閣総辞職により蔵相を辞任するが、戦後の混乱の中、預金封鎖、新円切り替えなどに取り組んだ。その後、高松宮家の財政顧問となる。
ちなみに、昭和天皇も生物学の研究で知られている。「後年大蔵大臣を勤めていた当時、政務奏上のために(昭和)天皇陛下に拝謁したが、たまたまヒドラや海牛の話となり、財政の政務はそっちのけで二時間近くも話しこんでしまい、後で陛下が、『渋沢はいったい何の大臣であったか』とお聞きになったという話が残っている」(『父・渋沢敬三』)。
ここにも、ホントは生物学者になりたかったけど、天皇家に生まれたから、やむなく家業を継いだ、悲しい名君の存在が示唆される。
意外に適性というものは本人にはわからないものらしい。かくいう筆者も本業はソフトウェア技術者で、この原稿を土日に書いている。