若いころから通い詰めた居酒屋の社長に気に入られる
私は25歳ごろから東京・渋谷の安い居酒屋に通い詰めてきた。山形弁で喋るこの店の社長には、本当に親切にしてもらった。通うようになって数年経ったころ、「おぉアンタ、ウチによく来てくれてるよな」と社長から声をかけられ、彼の席で一緒に飲んだ。
それ以来、17時に店にやってきて常連と飲むのがお約束だった社長は、私を見つけると「おーい、中ちゃん! こっち来いよ~!」と同じテーブルに誘ってくれるようになった。そして、18時30分を過ぎたあたりで「ほら、行くぞ」と気忙しく私を促し、タクシーに乗って社長の住まい近くにある店へ連れ出してくれるのだ。毎度ソバ屋で天ぷらを食べ、その後はカラオケスナックで歌い、さらに彼の家でまた、しこたま飲む……というのがお決まりの展開である。
そうして親睦を深めるうちに「中ちゃんよぉ~、オレは東京競馬場に貴賓席を持ってるんだよ」と告白され、「今度、友達も連れてきていいから一緒に競馬しないか?」と招待されるほどに。それからというもの、年に4回ほど東京競馬場に出かけて、貴賓室で社長と一緒にギャンブルをするのが恒例行事となった。
社長の入院を知り、応援するためにしたこと
社長は79歳だった2019年まで非常に元気で、店に居合わせるとよくビールをおごってくれた。ときにはアナゴの天ぷらまで供してくれた。「社長、ありがとうございます!」と同行者とともに乾杯をするのが、私も楽しみだった。でも、2019年の秋以降、とんと顔を見なくなってしまったのだ。心配になって、同店の副社長(社長の妹でもある)に「社長、大丈夫ですか?」と尋ねたところ、脳梗塞で入院していると明かしてくれた。
私は2020年11月に東京を離れ、拠点を佐賀県唐津市に移したが、1カ月から2カ月に1回のペースで、ABEMA TVの報道番組に出演するため東京に出向いている。その折には毎回、社長の店へ行った。社長が店で元気に飲んでいるかを確認するためである。でも、いつも不在だった。心配する私を見て、そのたびに副社長は「店には出てこないけど、元気だよ」と言っていた。
少しでも応援できればと『週刊現代』で「私の思い出の店」といった趣旨のインタビューを受けた際には、3軒挙げたうちの1軒をこの店にして、「社長が元気に戻ってくるのを楽しみにしながら、東京に来るたび訪れている」とコメントした。程なくして、副社長から「社長に記事を見せたら喜んでいた」と報告を受けたとき、気持ちが少し届いたように感じて、嬉しかった。