大切な人の訃報を受けても後悔なきようにするには、それまでにどんな関係を築いておくべきか。ライターの中川淳一郎さんは「年齢を重ねていくと、大切な人、お世話になった人の訃報に触れる機会が増えていく。『また会いたかった』と後悔しても遅い。直接会う機会を大事にしたうえで、自分なりに備えておくことが必要だ」という──。
海の見えるブランコに座り、隣の空席に手を伸ばす男性のシルエット
写真=iStock.com/AntonioGuillem
※写真はイメージです

年齢を重ねるにつれて身近になっていく「死」

齢50を迎えるころになると、以前に比べて耳にする機会が増えることがある。訃報だ。それも、かつてとてもお世話になった人、仲良くしてもらった人といった、いわゆる「恩人」や「思い出深い先輩」の残念な知らせを受け取ることが多くなっていく。

考えてみれば、20代のころに知り合った当時50代の上司や、馴染みの店の大将あたりは、いまや70代後半以上になっている。訃報が増えるのも当たり前か。大切な人はいつまでも元気でいてほしいが、人は誰しも、いつか必ず死ぬ。この摂理は覆せない。個人的な感覚ではあるが、30代までは「死」が日常的な出来事ではなかった。だが、最近は悲しいことに「死」が日常になりつつある。

自分が年齢を重ねていくにつれて、これまで縁遠い事象だった「死」が身近になっていく――すなわち、お世話になった人、大好きだった人を見送る場面が増えていく、という現実。あなたはそれに耐えられるだろうか? 本稿では「死」といかに向き合い、どう対処すべきか。また、どんな心構えをしておくべきか、といった点について考えてみたい。

突然の訃報は、想像以上に痛い

私の両親は、どちらも今年で79歳になる。厚労省が発表した「簡易生命表」(令和4年版)によれば、2022年における日本人の平均寿命は男性が81.05歳、女性が87.09歳だ。つまり、父はあと3年弱、母は8年ほどで平均寿命を迎えることになる。

数字にすると命のカウントダウンが始まったようで少し複雑な心境にもなるが、まぁ、両親の死については前々から覚悟をしているので、あまりビビってはいない。「いずれ、その日は来る。それまでに遺産関連のあれこれは、キチンと整理しておかなくてはいかんな」と考えている。ある程度、心の準備や覚悟をしておける「死」は、まだいい。問題なのは、普段「死」など想像したこともないような人物の、突然の訃報である。つい最近も遭遇したが、これは案外痛い。