訃報を聞き、錯乱状態に陥る
社長が脳梗塞を発症したと聞いてから5年ほど経過した、今年6月のこと。同店に予約の電話を入れた際、応対してくれた従業員に「社長はお元気ですか?」と聞いてみた。
「亡くなりました」
とうとうこの日が来てしまった。私はひどく錯乱し、同店へよく一緒に行っていた人に泣きながら電話をした。そうでもしないと、ショックに耐えられそうもなかった。
この動揺については、正直自分でも驚いた。「もうあの山形弁を聞けないのか……」「もう競馬場の貴賓室で『馬券、当たらねぇな』と笑い合いながらビールが飲めないのか……」「もう社長の馴染みの店に連れ回してもらえないのか……」。さまざまな思いが去来して、涙が止まらなかった。
そして痛感したのは「死は思いのほか身近にあり、それは唐突にやってくる。こうした事態は、いま自分がよい関係を築いている人、全員に起こり得る」ということだ。人の命なんてものは、がんや脳梗塞のような病気だけでなく、事故、天災、自殺などで簡単に失われてしまう。事件に巻き込まれて亡くなったり、国によっては戦争で命を落としたりする可能性もある。
「大切な人」の名前をリストアップ
「大切な人の死」という出来事は、自分の想像以上に日常的なもの。そう強く認識したことで、私は「かけがえのない、大切な人」の名前をリストアップすることにした。可能なかぎり、彼らが亡くなる前に会っておこう。できれば、後悔は最小限に留めたい……と、自分なりに予防線を張ったのだ。常識で考えれば、70代後半以降の人が近い将来、亡くなる可能性は高いわけだが、もはや年齢なんて関係ない。自分より若い30代も含めて書き出していった。
「縁起が悪い」と思うかもしれない。しかし、こちらが「まぁ、また会えるだろう」なんて悠長に構えていたら、次に会うのは葬儀の日、棺桶のなかで眠る姿……なんてこともあり得る。だからこそ年齢に関係なく、このようなリストは作っておいたほうがいい。とりわけ高齢の友人・知人・恩人については優先順位を上げて、リストの上段に名前を書いておくべきだろう。
くだんの居酒屋社長は、もう84歳だった。亡くなっても仕方がない年齢ではあるが、せめて見舞いには行っておきたかったな、とも思う。とはいえ、妹さんからは「コロナで面会不可なのよ。モノの差し入れ程度しかできないの」と言われていた。私が社長について話した『週刊現代』を差し入れてもらえたのが、せめてもの救いである。