お世話になった人には積極的に会いに行こう、と考えるように
会社員時代の上司たちは、彼らが60歳や65歳で会社を離れる折の送別パーティーで会ったのが最後、というケースが多い。彼らもいまや70代中盤から後半。フェイスブックを更新している人であればなんとなく近況もわかるが、そうではない人はまったくわからない。「○○さんが亡くなったぞ」と急に聞かされて、葬儀で最後の対面を果たす、ということも何度か経験した。いずれも「もう一度、酒を酌み交わしたかったな」という気持ちを抱いた。
こうした経験をする頻度は、今後ますます高まっていくのだろう。人は必ず死ぬ。死んだら会えない。当然のことながら、実感を伴った形で理解していなかったし、直視もしてこなかった。その反省を踏まえて、今後は相手の都合さえつけば、折を見て積極的に会いに行こうと考えるようになった。そのほうが、訃報に触れてもショックは若干やわらぐだろうし、後悔も少ないのではなかろうか。
会える機会を大切に。「行けたら行く」は不遜
訃報にかぎった話ではない。人間はいつ健康を損なうかわからないのだ。友人や知人から、ある日突然「人工透析を開始しました」や「すい臓がんのステージIVであることが明らかになりました」なんて報告を受けることも十分あり得る。かろうじて会うことはできるかもしれないが、もう一緒に飲んで、騒いで過ごすことはできない……そんな状況になってから後悔しても遅いのだ。
もしあなたが飲みや遊びに誘われたとき、「行けたら行くね~」といった適当な約束の仕方をしているのであれば、それはやめたほうがいい。何気ない誘いに見えるかもしれないが、それが最後の機会になる可能性もあるからだ。最後とは言わないまでも、今後、あと何回会えるかわからない。だとすれば「行けたら行く」なんて返し方は不遜である。
亡くなってしまったら、いくら望んでも、もう交流することはできない。その現実を改めて認識するべきだ。「とてもお世話になった人だから、これからお礼を返していきたい」「かつて迷惑をかけてしまったが、きちんと謝罪もできていない」といった相手であれば、なおさら直接会う機会を大切にしなければならない。
これが、愛すべき社長の訃報から学んだことである。
【まとめ】今回の「俺がもっとも言いたいこと」
・年齢を重ねるにつれて、大切な人の突然の訃報に触れる機会が増えていく。その際、思いのほかショック受けることがあるので、心構えをしておくことが必要だ。
・人は必ず死ぬ。死んだら、もう二度と会うことはできない。だからこそ、直接会う機会を大切にしなければならない。