認知症になった毒母の介護を抱え込む娘たち

【斎藤】私はいま、「毒母」に育てられた娘が、母を捨てたくても捨てられないという事態に直面しているケースを複数見ています。

虐待とまではいかないまでも、母に苦しめられてきた娘が50歳近くになり、母が認知症を発症してしまっている。きょうだいがいても、同居している娘に介護は任せっきりになる可能性が高い状況です。

ひきこもっている当事者は、ヘルパーや訪問看護師などの他人が家に入ることを嫌いますから、最悪、娘が一人で高齢の両親の介護をし続けることになります。私はそれが決定的になってしまう前に、世帯分離をして生活保護を受けてでも自立しましょうと勧めたのですが、それでもなかなか娘は踏み切れない。

【菅野】その娘さんの気持ち、痛いほどよくわかります。私はかつて母に虐待されていたのですが、老いた母を見たら果たして捨てられたかどうか……。

むしろすべてをなげうって、わが身を犠牲にしてでも全身全霊で尽くしたい願望が芽生える気がします。じつは30歳を過ぎてから、そんな未来がうっすらと見えてきたんです。それは私にとって、母との心中に近かったんです。母に人生を捧げるということですから。

だからこそ私は「親を捨てられるうちに、捨てたい」と、「捨てる」決断をしたんです。だけどその選択は、取材者という立場だからできたとも言えるわけで。私の周囲でも捨てたいのに捨てられず、渦中でもがき苦しんでいる人が大勢いるんです。

母を捨ててからも責められている気がする

母と娘が細胞レベルで融合してしまっているとしたら、どうすれば決別できるのでしょうか。

【斎藤】これは本当に難しいと思います。菅野さんはできましたか?

【菅野】「何をもって母を捨てるのか」という、この問題の根幹部分に関わるところだと思うのですが、結論から言うと、完全にはできていないと思います。

母と物理的に絶縁して、今後もいっさい母に関わるつもりはありません。それは、ハッキリしています。これは状況的には、一般の人とは違うところにいるわけですよね。

それでも私の中にはつねに母がいて、無意識的にも私自身を激しく責めている気がするんです。だから、私は心身を囚われている感覚が抜けないし、セルフネグレクトのような状態に陥ることもあります。

だけど最近はようやく、そんな自分を俯瞰ふかんで見れるようにはなったかな、と。

【斎藤】「母を捨てる」ことを選択した菅野さんでさえ、完全には決別できていない。私も『母は娘の人生を支配する』の中で、はっきりと答えを出せていないんです。というか、この問題にすっきりした一般解はないと思います。個別に考えていくしかない。