ポツダム宣言に仕掛けられた「2つの罠」
本論では、アルペロヴィッツが使用しなかったイギリス国立公文書館の資料とスイス連邦公文書館の資料を加えて、どのように「アメリカは原爆を投下するまで日本を降伏させなかった」のか、それが招いた意外な結果を明らかにしたい。
当時のアメリカ大統領ハリー・S・トルーマンと国務長官ジェイムズ・バーンズは、ポツダム宣言(正式名称日本の降伏条件を定めた公告)に2つの罠を仕掛けた。
1つ目は、原爆を投下するまで日本を降伏させないようにしたこと。
2つ目は、原爆を落としたとき、「われわれは警告した」といえるようにしたこと。
そして、当時の鈴木貫太郎首相は、まんまとこの罠にはまってしまった。
その結果が、1941年8月6日と9日の広島、長崎への原爆投下である。しかも、アメリカ側は今でも「原爆投下を警告したのに無視した。だから投下した。したがって正当だ」といっている。
日本の降伏条件が国体護持のみと知っていた
では、1つ目の罠はどういうものだったのか。それは、7月24日までポツダム宣言の第12条にあった太字部分の国体護持条項を削除したことだ。
この太字部分が残っていれば、鈴木首相は宣言を呑んでいただろう。アメリカは日本の暗号電報を解読して要約した「マジック」によって、日本が条件として考えているのは国体護持のみで、これを認めさえすれば戦争が終わることを知っていた。(詳しくは前掲書、とくに『「スイス諜報網」の日米終戦工作』に譲る)
トルーマンとバーンズ(というのも、スティムソンやグルーはこの条項を残すように2人に要請していた)は、これを削除すれば、日本が宣言を受諾しないことを知っていて、原爆を落とすまで降伏させないよう、削除したのだ。