人は誰でも「自分の基準」で行動している
2.他者に対する最低限のマナーは守るべし
周りを見渡せば腹の立つことばかりだ。なぜなら世の中は理解不能な人間であふれているからである。通勤中の人混みでは今日も誰かに肩をぶつけられた。それにしても、ああいう連中はどうして「ごめんなさい」のひとことが言えないのだろう? 人波をかき分けてようやくたどり着いた会社では、自分のために淹れたコーヒーをチーム長にかすめ取られた。煮えくり返る気持ちを抑えて仕事に集中しようとしてみるが、今日にかぎってなぜこうもクレームが多いのか。
後輩の手柄を横取りすることで有名なソ課長に、仕事そっちのけで株ばかり気にしているキム代理、今月の売り上げ目標は何としてでも達成しろとチーム員をせっつくチョンチーム長らに囲まれて1日仕事をしていたら、げんなりしてくる。周りを気にせず自分の仕事に集中しようと思っても、不意に怒りがこみ上げてくるのだ。どいつもこいつも、どうしてこんなに身勝手で厚かましいのだろう? なぜあんな生き方ができるのか、全くもって理解に苦しむ。
人は誰でも自分の基準で行動し、それを正しいと考えるものだ。そのため一方では他者を理解しようと努めても、もう一方では自分の基準から大きく外れる相手に不満を持ち、腹を立ててしまうものである。そういう時は、誰にでもそれぞれ自分だけの基準があることを改めて思い出すことだ。自分が気に入らないからといって、相手が間違っているわけではない。ただ自分とは人生の基準が違うというだけである。
それに、どんな人も100%正しい基準を持って生きているわけではない。つまり、自分だって間違える可能性は常にあるわけだ。したがってどんなに理解できなくても、一方的に自分の基準を押しつけ、怒りをぶつけたり相手を侮辱したりしてはいけない。それが他者に対する最低限のマナーだ。
3.あなたの怒りは恐怖の裏返し
人は自分の弱みを隠したがるものだ。それゆえ劣等感や羞恥心がかき立てられた時も、「キレる」ことによってその感情を隠そうとすることがある。こうした現象は、幼い頃に「男は絶対に泣くな」と言われて育った男性たちに多く見られる。彼らは自分の感情を正しく把握できていないことが多い。深く傷ついた時も、拒絶されそうで怖い時も、恥をかいてしまった時も、何やら負の状態に置かれたことに恐怖を覚えるだけなのだ。そのため恐怖心を隠そうとして烈火のごとく怒りをぶちまけ、他者を攻撃するのである。
だから腹が立った時は、自分の抱く感情が本当に怒りなのか、その裏に何か別の感情が潜んでいないか、真っ先に探る必要がある。怒りをぶつけることと、何かへの恐怖を伝えることは全く違うことだからだ。