「全面的な否定」に徹底してフォーカスしている

アップルは当時、創業8年目のベンチャー企業でした。そのようなベンチャー企業が、社運をかけて開発したパーソナルコンピューターの新発売を告知するためのCMなのに、機能や性能の説明はおろか、商品カットさえ映っていないのです。

写真=iStock.com/Ekaterina79
※写真はイメージです

このCMでは

●マッキントッシュにどれだけ便利な機能が備わっているのか?
●マッキントッシュによってユーザーの能力はどのように拡張されるのか?
●マッキントッシュによってどのような社会がやってくるか?

といった点には、全く触れられていません。描かれているのはただ一つ、

●マッキントッシュによってどのような社会がやってこないか?

ということだけです。

CMの最後に流れるキャプションの最後の一行が、ビジョンを語る際にいつも用いられる「will be=になる」という肯定形ではなく、「won’t be=にならない」という否定形で閉じられているところに注意してください。

要するにこのCMは「我々の敵は誰か? 我々は何と戦うか」という一種のマニフェストであり、一言でいえば「宣戦布告」なのです。世界中の広告関係者が「史上最高のCM」と激賞するCMの内容が、実は何も肯定しておらず、逆に「全面的な否定」しか描いていない、ということは非常に示唆深いと思います。

「神でないものは何か」回りくどい問いが有効な理由

このアプローチはキリスト教神学における否定神学のアプローチを思い起こさせます。否定神学では、神に関する知識や理解を「神とは何か?」という論点に基づく考察ではなく、「神とは何でないか?」という論点に基づく考察を通じて把握しようとします。

、山口周『クリティカル・ビジネス・パラダイム 社会運動とビジネスの交わるところ』(プレジデント社)

なぜ、このようなアプローチを取るのでしょう。神は人間の理解や能力を超えた存在であるため、神の全的な資質や能力を人間が把握し、記述することはそもそも不可能だ、というのが否定神学の前提となっています。つまり、全世界から「神でないもの」を削り取るための「意味の接線」を無数に引くことによって不可知な神の輪郭を彫琢する、というのが否定神学のアプローチなのです。

同様のアプローチが、社会構想においても有効なのかもしれません。

かつてトマス・モアを嚆矢として、ウィリアム・モリスや多くの論者によって「理想的な社会とはどのような社会か?」という問いに対する回答として、様々なユートピアのモデルが提案されたわけですが、これらの提案は今日、ほとんどかえりみられなくなってしまいました。