企業は顧客の美的・倫理的感性を引き上げる必要がある

原研哉はここで「市場の欲望の水準をいかに高水準に保つか」という論点を立てています。市場の欲求の水準を肯定的に受け入れて、それにおもねるのではなく、欲求の水準に対して批判的な立場をとりながら、むしろその水準を高めるような批判・啓蒙によって「市場の欲求の水準を教育する」ことが必要だと言っているのです。

結論としてまとめれば、アファーマティブ・ビジネス・パラダイムによって、顧客のルーズなニーズやウォンツに対して適応することを続ければ、やがて社会全体の風景がルーズな方向に引きずられ、それはまた、その市場のグローバルな競争力の喪失にもつながるということです。だからこそ、現在の私たちは、顧客の美的・倫理的感性を引き上げるようなクリティカル・ビジネス・パラダイムを必要としているのです。

私たちの社会は、人々の心身を耗弱させ、地球環境に甚大な負荷をかけながら、日々、膨大な量の物品を世の中に送り出しているわけですが、これらの品々の中に、私たちが本当に「次の世代の人々に是非とも譲り渡していきたい、私たちはこういうものを作ったのだと誇りを持って伝えたい」と思えるようなものを生み出せているのかどうか、クリティカルに考える必要があります。

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ダメな顧客のリスクは100年近く前から指摘されてきた

そのような反省もなく、日々、美意識も倫理観もない大衆の欲求にルーズに適応することで生み出されたこれらの商品が、人々の生活の舞台である社会の風景を織り成し、子供たちがそれらの商品に日常的に触れることで、感性はさらにルーズな方向へと教育され、美的センスの社会的なスタンダードは長期的にズタズタにされることになるでしょう。

スペインの思想家、オルテガ・イ・ガセットは、1930年の著書『大衆の反逆』で、新しい「大衆」という社会集団の出現とその特質についての洞察を提供しています。オルテガによれば、この「大衆」は自分の意見や欲求を絶対視し、伝統や貴族的価値観を軽視する傾向があります。

この「大衆」の出現とその行動の背後には、社会の民主化や平等の進展、そしてテクノロジーの発展に伴う生活水準の向上が影響している、とオルテガは指摘します。

今日、あらゆるところを歩きまわり、どこでもその野蛮な精神性を押し付けているこの人物を、人類の歴史に現れた「甘やかされた子供」と呼ぼう。「甘やかされた子供」はただ遺産を相続するしか能がない。

ここで、彼らが相続するものは文明である。いろいろな便宜や安全……一言で言えば「文明の恩恵」である。いままで見てきたように、文明がこの世界で作り上げた安逸な生活の中でのみ、あのような諸特徴を持ち、あのような性格をもった人間が生まれるのである。(オルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』)