女性社員の命運は上司次第だった
住んでいた区に一つある産休明け対応の保育園には、空きがないことが判明。当時の上司は独身の男性なのに、頭が柔らかくて、「どうやって復職するかあなたの好きなように考えていいよ」と言われ、少しホッとしました。対照的だけど、仲の良かった同期は、すごくできる女性だったんだけど、私の翌年の1991年に妊娠。でもその上司は理解がなくて、「いつ辞めるの?」と。周りには味方もいないし、迷惑をかけるからと、辞めていきました。ほんとうに、私は運が良かった。当時の女子社員の命運は、上司しだいでしたね。
1992年には同じ事業部の後輩2人がさらに出産。1人は実家が近く、保育園と両親に育児を頼りながら、産休明けに復職。もう1人は育休こそとれたものの、実家が遠方だったので頼る人もおらず、保育園のあとにベビーシッターを頼む二重保育を強いられながら、仕事をしていました。さらにそのまた翌年には支社内の別の事業部でも出産→復職する女性が現われた。みんな働き続けたかったんだよなぁ。そう、しみじみ思うと同時に、第一号だった私は後続の無事を眺めながら、ある種の達成感を味わったのでした。
「ママ、いなくなっちゃいやだ」との葛藤
御多聞にもれず、子どもが生まれれば、課題が発生します。それは、ママとしての自分、働く自分、その両者の葛藤をどううまく処理するか、に他なりません。
ありがちなのは、子どもが風邪で熱を出した場合。保育園を3日も休めば治るけど、なかなかそうもいかない。朝に熱さましを飲ませて無理やり下げて昼過ぎから出社するなんてこともありました。
子どもからは「ママ、いなくなっちゃいやだ」と言われるし、実母とか周りからは「母親なら、仕事を休むでしょ」という圧が迫ってくるし、職場では「また休み?」って言われるし、子育てしながらだと働き方も変えざるをえません。
残業するのか、するならどれくらいか。私は4人チームのリーダーで差配できる立場にいたから、夕方の会議をなくす形で、定時に仕事を済ませるよう、ルールを変えました。そしたら、平成あるあるだけど、上司が「朋子さんは残業しないんだから査定は一番下ね」と言うんです。ほんと忘れられない、腹が立つ思い出。
飲みニケーションにどれくらい参加すべきか、というのもありましたね。出ないと決めればそれでいいんだけど、そこで重要な情報が共有されたり、物事が決まったりするから、なかなか割り切れない。
とにかく、前例がないので、自分で考え、自分で決めるしかありませんでした。そうしなければ、「悩むなら、辞めちゃえば?」と言われてしまうから。