「イカキング」に「税金の無駄遣い」批判
人は誰しも、時に間違えたり失敗することがある。さらに、何事も「塞翁が馬」である。人の思惑が及ばない「ファクト」「エビデンス」と違い、オピニオンは何が正解かをあらかじめ完璧に予測することはできない。それら本来の「当たり前」を、社会が改めて認め直すところから始めるべきだ。
たとえば、2024年1月1日に発生した能登半島地震で大きな被害を受けた石川県能登町には、「イカキング」と名付けられた巨大なスルメイカのモニュメントが作られていた。
国がCovid-19の感染症対策として配布した地方創生臨時交付金から2500万円もの公金が、この制作に支出されたことに対し、当初は「税金の無駄遣い」などの激しい批判と嘲笑を受け、海外メディアでも報じられた。
建設費の22倍もの経済効果をもたらす
ところが、散々「公金の無駄遣い」であるかのように報じられたイカキングは、その後、建設費の22倍にも及ぶ6億円以上の極めて高い経済効果を地元に生み出した。
そればかりか、震災時に地震と津波で周囲が大きな被害を受けた中、無事であったイカキングの姿が「復興と希望の象徴」になった。
イカキングの公式アカウントは《津波が迎えに来ましたが、海には帰らず、いつもの場所に居ます。奥能登が好きだから。これからも奥能登を元気にするぞ》
と発信している。かつて「無駄」と断じた論者たちの一体誰が、このような未来を予想できただろうか。
マスメディアも「社会正義」も、「絶対に間違えない」ことなど不可能だろう。
しかし、たとえば日本の製造業には製造物責任法(PL法)があり、自動車業界にはリコール制度もある。社会は率先して軌道修正や改善、リコールに乗り出して責任を取ろうとする姿勢にこそ大きなインセンティブを与え、逆にミスや不都合な事実の隠蔽、事故を起こして「ひき逃げ」するかのような卑劣な行為には、より大きなペナルティが加わるようにしていく必要があるのではないか。
現状のまま「正直者が馬鹿を見る」「やった者、言いっ放しで逃げた者勝ち」のままで良いはずがない。
人や組織は、たとえ自らが当初に規定した「正しさ」や意見、こうありたいという願いや存在理由が変わっても、またそれらが失敗しても生きていける。権威や権力を誇示して「名誉」「被害者性」を勝ち取らずとも、たとえ失敗を認め謝罪しても、決して奪われることのない、失われない「尊厳」が誰にもある。
そのような理想を実現する道のりはきっと、途方もなく「やさしくない」だろう。それでもなお、多様性と赦しを内在した「優しい」社会の実現を、私は心から願う。