社会を希望で照らす
③社会を希望で照らす
最後に示すのは、「社会を希望で照らす」ことだ。
一見して陳腐な精神論にも見えるかも知れないが、実はこれが最も重要なことであり、行うすべての対応の動機、最終目的として通底させなければならない。
改めて「情報災害」を要約する。
悪意または誤解や独善、政治的あるいは商業的な打算や自己顕示などに基づく軽挙妄動、あるいは同様の動機から広められた流言蜚語などの誤った情報を主な手段とし、「正確な状況判断とその共有を阻み、対応の優先順位を誤らせ、社会のリソースを空費させ、一刻を争う救助や支援を妨害する」「人々の恐怖や不安を煽動し、社会に怒りと絶望を広める」などを要因に引き起こされる人災全般を指す。
「情報災害」はそのすべてが「人の心」が引き起こす以上、最終的には「人の心」でしか解決できない。
災害時など、生命の瀬戸際にある人間を最後の最後に繋ぎ止めるのは「希望」だ。恐怖や不安が広まる中、寒空の下で救助を待つ中、あるいは人生を捧げてきたすべてを失ってしまったような状況では、被害状況や立場によっての多少の程度はあれど「助からないかもしれない」「見棄てられた」「二度とは元に戻らない」「これ以上生きていても仕方がない」などの絶望が頭を過ぎる。
デマが「絶望」をもたらす
デマがもたらす「絶望」は、当事者が崖っぷちの岐路にあるその瞬間に、背中から突き落とすように作用する。たとえば、すでに述べたように、福島では原発事故が発生したが、健康影響を受けるような被曝は住民の誰もしておらず、食品は今や他県産とまったくリスクが変わらない。
にもかかわらず、特に事故直後には未来を悲観した自殺者が多発した。
2011年7月9日の毎日新聞報道によれば、福島県内では同年3月に原発事故が発生した翌月4月から6月にかけて、自殺者が2割増加したという。
その後も自殺は相次いだ。《私はお墓にひなんします ごめんなさい》と残された遺書は、あまりにも重い。
本来は必要のなかった避難によって健康が悪化したり、家庭が崩壊したケースも続発した。