同僚からの評価は低く、部下からの評価は安定

同じ仕事をして同じような成果だと思っていても、同僚からの評価は上司・部下からの評価よりも常に低く(これは当たり前だ。同僚はライバルなのだから、基本的には自分より低く評価したいというバイアスが働く)、上司からの評価はばらつくが(ある程度職級が上がっていくと、上司との関係はより好き嫌いによって決まっていく。大企業の会長・社長が、課長時代から上司・部下の関係ということがあるのもそのためだ)、部下からの評価はわりと安定している(これも当たり前で、自分を評価する上司から嫌われたくないから、辛い評価をつけるわけがない)。

それでも、誰から見てもあの人はスゴイ、という人は360度評価でちゃんと高い評価が得られるし、誰から見てもあの人はちょっとね、という人は360度評価で高い評価になることはない。

だとすれば、360度評価にはあまり意味がないことになる。要はそんなことをしなくても、みんなわかっているからだ。

ただし、360度評価とは少し違うが、経営層に対しては、お友達ではないちゃんとした人たちからの外部評価は必要だろう。本来はそれが社外取締役の役割だが、できればせめて幹部候補生については、外部のメンターをつけるといったことも必要だろう。近年の企業の不祥事を見ていると、その企業では問題だとされていなかったことが、実は社会的には不適切だった、ということも多いからでもある。

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嫌がられる人事評価は本当に必要なのか

あなたは人から「スゴイね」と言われたいか、と問われれば、多くの人はYESと答えるだろうが、あなたは人事評価されたいか、という質問に対してすぐにYESと答える人は少ないだろう。

有名なマズロー欲求5段階説(生理的欲求・安全欲求・社会的欲求/愛の欲求・承認欲求・自己実現欲求)にあるように、だれでも人に認められたいという気持ちはあるはずだが、それはあくまで褒められたい、という気持ちであって、あなたはダメだという評価を含めて評価されたい、というワケではない。

簡単に言えば、人事評価されたい人は、おそらく少数派だろう、ということであり、人の嫌がる人事評価は本当に必要なのか、ということだ。

人事評価の目的が、分配(給料)の決定であれば、全員を相対評価する必要は無い。できるだけ多くのできている人を見つけ出し、ごく少数の一緒には働けないと思われる人を慎重に考えるだけでよく、つまり全員を厳密に相対評価しその結果を伝える必要はない。

分配の仕組みとしては、月給は変えないにしても、賞与をこうした評価によって分配することで人件費総額のコントロールは十分可能だろう。