大学ではなく高校を強調する「名門高校出身マウント」

「灘で同級生だった○○君は本当に凄かった。彼のおかげで数学者の道を潔く諦めることができました」
➡同級生の優秀な人物を引き合いに出すことで、自分が彼らと肩を並べるレベルの集団に属していたことをほのめかす
「高校では高3の夏までバカばっかやってました。それでも現役で東大に入れたことは、開成の七不思議と言われています」
➡高校時代に勉強していなかったことを強調しつつ、それでも東大に現役合格した実績をさりげなく見せつける
「先日、高校時代の友人たちと飲み会があったのですが、皆それぞれの道で活躍していて、刺激になりました。筑駒出身者って、本当にいろいろな分野で優れた人材が育っているんですよね」
➡名門高校の同窓生を誇りに思っていると語ることで、優れた集団の中で教育を受けてきたことを一方的にアピールする
高校の偏差値レベルが問われる

学歴と言えば大学や大学院などの最終学歴を指すことが多いものだが、超上位層になると、高校の偏差値レベルがより重要になることがある。そのため、東大よりも難易度が高いとされる開成や筑駒、灘、麻布などの卒業生の一部は、しきりに自分たちが名門高校の出身であることを会話の中に忍ばせる傾向がある。

「母校の開成高校で授業をさせていただきました。みなさん真剣に聞いてくれて、質問もたくさんしてくれたので、とてもうれしかったです」
「灘の同級生で東大理三に行ったみんなは本当に賢かった。理三に行った全員がコンピューターサイエンスに進んでいたら、日本の失われた30年はなかったのではと思う」

本人だけでなく親もマウント

これらの名門高校のブランドを使ってマウントを取りたがるのは、本人だけではない。親としても、偏差値の高い大学に子どもが合格したことを示すことで、「自分の子どもの知能レベルが高いこと」「自分の教育方針が優れていること」を周囲に対して見せつけることができる。要は、自分が叶わなかった夢を子どもに託しているわけだ。

なぜ、港区の専業主婦や高卒の叩き上げ系経営者の一部が子どもの中学受験に夢中になるのか──それは、純粋に子供の将来のためではなく「子どもを使ってマウントを取りたい」という欲求が少なからず含まれているのだ。

大学の偏差値が高校の偏差値を大きく下回る経歴の持ち主の一部は、「出身大学」ではなく「出身高校」を自らのアイデンティティの拠り所とする傾向がある。実際、「開成→早稲田」の人物は「開成卒」であることを強調し、「筑駒→鳥取大(医学部)」の人物は「筑駒卒」をアピールしようとする場合がある。彼らと接する際には、できるだけ高校時代のエピソードを聞くように心がけることで、良好な人間関係を構築することができるだろう。

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