常に借金に追われ、生活のめどが立たず、お酒や競馬におぼれた時期もあった。「プロデューサーは、お金があれば全然平気ですよ。何の商売でもそうだけど、お金を出せばいくらでも作れます。でも、お金がなくて映画を作らないといけない大変さといったら……」

小さかった娘たちを車に乗せて走り回っていると「子連れ狼」と呼ばれた。そのようにしながら、典吾さんが監督を務めた三國連太郎主演の『はだしのゲン』(1976年)や芦屋雁之助主演の『裸の大将放浪記 山下清物語』(1981年)などを世に送り出した。

「私が監督をするしかない」64歳で監督デビュー

1998年に典吾さんが亡くなると、典吾さんが率いた会社「現代ぷろだくしょん」の監督がいなくなってしまった。「自分で監督をするしかない」。64歳で撮った初監督作品は、自身と娘が暮らした日々を描いたアニメ。2004年には、3000人の孤児を救った人物を主人公にした『石井のおとうさん ありがとう 岡山孤児院・石井十次の生涯』(出演=松平健、永作博美、竹下景子ほか)を撮った。72歳での実写映画デビューだった。

その後も、監督として10本の映画を製作してきた。反戦をテーマにすることが多く、『母 小林多喜二の母の物語』(2017年、出演=寺島しのぶ、塩谷瞬ほか)では国家権力に立ち向かい、拷問死した小林多喜二の母の姿を描いた。パンフレットには「戦争を二度としてほしくない。こんな時代を作らないでとの願いを込めて作りました」と記した。

山田さんは、広島で原爆に遭った友達から若い頃に聞かされた話がいまも記憶に残っている。原爆で亡くなった人たちの死骸をザリガニが食べ、人間はそのザリガニを食べて生きざるをえなかった、と。「そんなもんなんだよ、生き残るっていうのはさ」

提供=現代ぷろだくしょん
2017年に公開した『母 小林多喜二の母の物語』のワンシーン