子どもを追い詰める親のネグレクト
優しく抱き上げられる弟が、私はやっぱり憎らしかった。あのまま首を絞め続けていればよかった、とすら思った。そうすれば、この不愉快な生き物はこの世界からいなくなるのだろうか。あわよくば何事もなかったように消えてほしい。それが私の心に湧き上がる嘘偽りのない正直な感情だったと思う。
いつだって、誰かの温かな手の中に収まる弟。それに比べて私は、つねに手を振りほどかれる待遇に甘んじていなければならなかった。本当は母に甘えたいのに、私は、いつしか手を差し出すことすらためらうようになった。
この殺人未遂ともいえる事件、いやれっきとした殺人未遂事件を、弟はまったく覚えていないだろうし、生涯をとおして、私だけの秘密として墓場に持っていくと心に決めていた。
それでもこうして文章にしているのは、親のネグレクトがここまで子どもを追い詰めるという恐ろしい現実を、できるだけ多くの人に知ってほしいからだ。弟には申し訳ない気持ちで、あのときのことを謝りたいと思っている。
もしおばちゃんが弟の泣き声に気づかず、そのまま私の凶行が止まらなくなり、弟が重い傷を負ったり、死んでいたらと思うと胸がつぶれそうになる。少しでも首を絞める力が強ければ、弟は今この世にいないかもしれない。
当時の私は、善悪や命の重みを今のように客観的に捉えられる年ではなく、幼過ぎた。だからこそ、感情のおもむくままに弟に手をかけたし、それが悪いことだとすら思わなかった。それほどまでに、母の愛を渇望してやまなかったからだ。そして、幸いなことになんとか弟を殺めずに済んだから、今の私がある。
それを考えると、あのときの私は、いや私たち一家は、いつ崩壊するともしれない危ういバランスの中にいて、生きるか死ぬかの瀬戸際にあったのだ。