※本稿は、菅野久美子『母を捨てる』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。
仲間外れゲームでスクールカースト最底辺に
中学に入学してしばらく経ったあるとき、私はクラスの女子から突然、仲間外れにされた。多分、中学に入ってからも、やっぱり私は浮いていたのだと思う。何がきっかけだったか、今となってはわからない。しかし、小学校時代と変わらず中学時代もリーダー格の女子がいて、すべてをコントロールしていたことは、確かに覚えている。
とにかく私はその女子の一声によって、ある日を境にグループから無視され、罵声を浴びせられ、孤立するようになった。しかし、ヘンな話だが、私はいじめにはやっぱり慣れていた。小学校のいじめでほとほと通り抜けてきたパターンだったからだ。
けれどもその後のパターンは、一辺倒ではなかった。
クラスにはもう一人、私と同じく浮いている女子がいた。その子は根暗な私とは、まったく真逆なタイプだった。歌がうまくて、歌手を目指していたその子は、何よりも容姿が飛びぬけて可愛らしかった。それが女子のリーダーにとって気に食わなかったのだと思う。
私はその子と、交互に仲間外れにされるようになった。いわば「仲間外れ」ゲームだ。今日までは「人間」だったのに、翌日には「奴隷」の扱いになる。そして、私が「人間」になれば、その子は「奴隷」になる。その子が「奴隷」になれば、私は「人間」になって、グループの仲間に戻ることが許される。その繰り返しだ。
「人間」になれれば、グループの女子たちとも今までどおり喋ることができるし、お昼のお弁当の輪の中にも入れてもらえる。しかし、翌日登校すると、突然クラスの全員から口もきいてもらえなくなる。スクールカーストをジェットコースターのように行き来させられる日常。それは、私を奈落の底に突き落とした。
いつ、「その瞬間」がやってくるかはわからない。私は「奴隷」に堕ちないように必死におどけたり、リーダーのご機嫌をとったりしていたが、あまり効果はなかったように思う。すべては女子のリーダーの気まぐれだったし、そもそもそのゲームの最大の目的は、私やその子が苦しむ姿そのものにあるからだ。
「才女」たちのいじめに見た母の幻影
彼女たちが、その無慈悲ないじめを娯楽として愉しんでいたのは間違いない。私とその子が戸惑い、苦しむ姿を見て、彼女らは時折笑みを浮かべていたからだ。それは、彼女たちのストレス解消法であり、愉しみであったのだ。
その一因は、ひとえに子どもにかける親の期待にあったと思う。中高一貫教育のブランド校。そこに渦巻く負のエネルギーは、今考えるとすさまじかった。彼らは、中学時代から東大や京大、国公立、もしくは医大を目指して猛勉強を重ねていた。いわば親の期待を一身に背負っていた。
彼らの目標はただ一つ、この過酷な受験戦争を勝ち抜くことだ。そのため、空き時間は家庭教師や塾などの予定でびっしりと埋めつくされていた。
学校での「仲間外れ」ゲームは、そんな「才女」たちの唯一のガス抜きだった。そして私は、ただなぶり殺しにされる生贄となった。
私が、クラス全員による小学校時代のいじめと異なる女子たちの行為に激しく動揺したのは、きっとそこに母の幻影を見たからだ。
女子グループが私にしたことは、今振り返ると母が私にしたこととまったく同じだったと思う。愛が欲しくて、振り向いてほしくてがんばっても、母の愛は条件付きだったり気まぐれだったりする。考えてみれば母も、私のジェットコースターのような感情の振れ幅をどこか愉しんでいたふしがあった。
女子グループも同じだ。人がどういう状態に置かれればもっとも傷つきダメージを受けるのか、彼女たちは本能的にそれを理解していた。だからこそ、私に一時的にでも「人権」を与えたのだ。それは今思うと、小学校時代とは比べものにならないほどの、ゾッとするような陰湿さがあったように思う。