馬乗りになって絞めた母の首

私はどこかちぐはぐだった。確かに体は母よりも大きくなった。母がそんな私の威圧感におびえているのが伝わってくる。

それでも、幼い頃の私はずっと私の中で泣いている。今も苦しんでいる。

心がシャットダウンして、真っ白になる。みんなみんな消えてしまえばいい。心も体も、子どものように泣いていた。そして次の瞬間、煮えたぎるような怒りの感情に、私は全身を支配された。

とっさのことだった。私は我を忘れて母親に襲いかかった。馬乗りになって首を絞めていた。誤解しないでほしいのだが、そのときの私は母に対して、たったの1ミリも、憎しみという感情はなかった。だから母を殺したかったわけではない。ただただ行き場のない悲しみが胸中に押し寄せ、それが濁流となって、全身の血という血が沸き立つような感覚である。それは、私自身がかろうじて保っていた理性をも、どこかへ追いやってしまう。

今考えると、その先に暴力があったのだと思う。私たちはフローリングの上で上下にひっくり返り、激しい取っ組み合いになった。

そのときの感覚は今でも覚えている。母は、驚くほど温かかった。私はなぜかそのとき、母の体温を感じていたのだ。なぜだか、私が触れた母はとてもとても温かかったのだ。

そして、母が私に全身全霊で向き合ってくれているのを感じた。生きるか、死ぬか、という切羽詰まったあの感覚。それは、考えてみれば母に虐待されたあの幼稚園時代と同じあのとき、あの瞬間を彷彿とさせた。

「だれか、だれか、たすけてぇぇ! ころされるぅぅ!」

そのときの母は、子どものように泣きながら絶叫して、必死の抵抗を試みて、私の手から逃れようとしたと思う。そうして、私に嚙みついたり蹴ったりした。

母への怒りと悲しみ

今でも、あのときのことを思い出すと、胸がいっぱいになる。母は一瞬の隙をついて、命からがら家から飛び出した。ひっくり返ったテーブル、割れて飛び散った茶碗。倒れた本棚――。

ぐちゃぐちゃになった部屋は、無残そのものだった。私は荒れ果てた家を見て、泣きじゃくった。そして、すさまじい後悔の念に襲われた。

「お母さん、ごめんなさい! ひどいことして、ごめんなさい!」

母がいない家。なんであんなことをしたのか、死にたくなった。その後、自殺未遂をしようと考えたこともある。そうしてやっぱり、私はいないほうがいい人間なんだと自らを責めた。そんなことが幾度となくあった。

母が、かつての虐待を完全に忘れていたのか、しらを切っているのか、どちらかは今もわからない。私にとっては、どちらでもいいのだ。

ただ一つ、言えること。あのとき、私が望んでいたこと。それは、母に認めてほしかったのだ、過去の過ちを――。そして、抱きしめてほしかったのだ。それが、母が私に正面から向き合うということにほかならないからだ。

私にとっては消し去りたい暗部で、目を背けたい出来事だが、自分を戒める懺悔の思いと共に、当時のことをありのままに記しておきたいと思う。

私は、おぞましいほどの家庭内暴力を、母に対して幾度となく繰り返した――。私たちはまさに死の瀬戸際にあった。お互いの生死を懸け、悲しみに満ちた苦闘は果てしなく、終わることがなかったのだ。

菅野久美子『母を捨てる』(プレジデント社)
菅野久美子『母を捨てる』(プレジデント社)

私にとって引きこもりは、耐えがたいストレスの連続だった。母は、私の家庭内暴力がいつ起きるか、ビクビクするようになっていた。私は、そんな母の態度にもイライラした。

“人生が詰んだ”私は、これからどうなってしまうのか。確かなのは、その先には闇しか広がっていないということだ。母が敷いたレールから外れてしまった私に、明るい未来なんてあるわけがないのだ。私は、日々押し寄せる不安でいっぱいだった。そして、その元凶をつくり出したのは、母なのだという怒りと悲しみに支配されていた。

私と母は、殺し殺されるほんの一歩手前にいたと思う。